吉野宮の盲僧秘話

「座頭神(ざつがみ)さん」として親しまれている吉野宮は、諸塚村家代南川集落の標高682m、北郷村への宇納間越えの峠に鎮座している。ここには盲僧殺害の悲劇が伝えられており、境内に「享保19年寅年、明音見行盲等、十一月廿日(20日)弐百五十年相当」と三行に分けて刻字した供養塔がある。刻銘の中で、「明音」は妙音で、、「見行」は検校、「等」は塔が正しく、何か意図的な操作が行われているようである。それは出家を殺害すると、たたりが七代に及ぶと言われるように、悲劇性を象徴しているのであろう。刻字から逆算すると、事件は文明(1469)から明応(1500)年代あたりで、室町時代までさかのぼる。南朝の密使説などが取りざたされているゆえんである。従者の名は孫八と伝えているのに、当時の盲僧の名前は不詳である。なぜに吉野宮と称するのか、それはこの山が吉野山であるから吉野宮と呼ぶのか、あるいは盲僧の名前が吉野だったのか、特定する材料は無い。ちなみに吉野宮守護札には琵琶盲僧の絵像に「吉野大神・盲神守護」の文字があり、神として祭られ今日に至っている。延岡市の小野山上には約3mに及ぶ宝筐印(ほうきょういん)塔が建立されており、副碑に建立にかかわる経緯、由来、開眼供養の模様が刻まれている。ここからは遠く諸塚村の吉野宮が礼拝でき、天保12(1841)年、月日も同じ3月28日に台雲寺第20世の退全和尚を導師として、盲僧霊の安らかなるを祈った。豊前(大分県)の本草学者、賀来飛霞(ひか)の「高千穂採薬記」にも盲僧殺害の記事が見られ、世間では広く語り継がれていたらしい。現在では、県北春の三大祭として、3月28日の「座頭さん祭り」は近隣からの参拝者で賑わう。(宮崎の神話と伝承:山口保明筆)

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