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黒田の家臣

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黒田の家臣地図

黒田の家臣は---、(アレッ何で黒田の家臣というのだろう?)黒田の家臣の墓はこの細島にある。ここは細島港から岬の先端「馬ヶ背」に行く途中、左折して坂を下りてゆくと突き当たりに駐車場があり、細島には歩いて渡ってゆく。小さな島であるが美しい島である。江戸時代末期、寺田屋事件で捕らえられた筑前秋月の黒田藩士3名が薩摩へ護送される途中、ここで惨殺された。その供養の墓が建てられている。また第二次世界大戦末期、ここには特攻隊の基地があったらしく、跡地も残っている。いづれにせよ、小島のわりには悲しい歴史を秘めた島だ。しかし今は、キャンプ、海水浴、潮干狩り、釣りと、多彩な魅力の有る島である。
墓は当時の黒木庄八翁によって建てられ、現在まで黒木家の善行によって維持されている。

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高島
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高島
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高島右岸
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黒木家の善行
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勤皇志士の墓
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高島の先端
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先端より駐車場を望む
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先端より右側を
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先端部分
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人間魚雷訓練地跡
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人間魚雷訓練地跡
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人間魚雷訓練地跡
なつのよの みしかきところ ゆめ たにも くにやすかれと むすひこそすれ 海賀直求 辞世
■風雲急を告げる1862年(文久2年)の四月、勤王志士は倒幕挙兵の準備で京都伏見の宿(寺田屋)に集まっていました。一方上京して公武合体を進めていた島津久光は、公家の要請もあり、過激派鎮撫のため薩摩藩士を寺田屋に行かせます。そこで出迎えた薩摩藩脱藩の勤王志士8人は、不意を突かれて惨殺されました。この他、各地の藩を脱藩して集まっていた勤王志士達多数が捕らえられ、それぞれの藩地へ護送されることになり、秋月黒田の海賀宮門、肥前の中村主計、但馬の千葉郁太郎の3人は、瀬戸内海を経由して細島に護送されます。細島港入り口の高島で密かに殺されるという痛ましい事が起こりました。最初の発見者は女性で驚きもひときわで、全員深い刀傷であったと伝えられています。
■日向灘は人間魚雷の訓練地
昭和20年5月ごろ、米軍の上陸が予想される日向灘数ヶ所で、若者(15〜18歳)達が密かに訓練を受けました。戦争末期の人間魚雷訓練です。ベニヤ製のモータボートに250k爆弾を積み、敵艦に体当たりするものでしたが、 終戦になり実行はなされませんでした。今は格納庫のみが当時の面影を忍ばせています。
居酒屋なんじゃろか