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行縢山の伝説

延岡市の西端にひときわ目立つ二つの岩山がある。東を雌岳(809m)、西を雄岳(830mという。この二つの岩山からなるのが行縢山である。今から二千万年以上も前、新世代の地質時代に、花崗岩の山塊が盛り上がって大崩山が生まれ、その南側に生じた亀裂に花崗岩脈が噴出して行縢山が出来たといわれる。その二つの険しい岩峰の間に滝がある。今にも落ちてきそうな絶壁の山容は威厳に満ち、人々を寄せ付けない雰囲気を感じさせる。時代は変わって、景行天皇の時代、熊襲を討つためにヤマトタケルを今の九州に当たる筑紫に差し向けた。そこ頃行縢山にはカワカミタケルという勢力者がいて、人々から多くの貢物を取り上げて暮らしていた。ヤマトタケルは討伐のため、舟を今の延岡市の東海の港に乗り入れた際、ミコトはこの山が馬に乗るときの防具・縢(はき)に似ているいることから行縢山と名づけたという。ミコトは勇気を得て、行縢の近くの舞野村というところまで来た。そこの野添というところに居を置いて7日間とどまり、カワカミタケルを打つ策を練った。この時、雄岳と雌岳の間の滝が落ちる窪みが矢筈(やはず)の形になっているので、矢筈と名付けた。また水の落ちる姿が白布を引くように見えるので、布引の滝と呼んだと伝えられている。ミコトはやがて美少女に姿を変えて、カワカミタケルの館に入り、酒宴の中でタケルの油断を誘い、討ち果たすことが出来た。ミコトは大事を成し遂げて豊後の国(大分県)に帰った。人々はミコトが居を置いたところを武宮と呼ぶようになった。日本書紀のヤマトタケルの物語が、地名伝説となって残っている。養老2年(718年)の創建と伝えられる行縢神社は、熊野権現を勧請(かんじょう)したといい、イザナギ、イザナミ、ヤマトタケルなどの神々を祀っている。