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城影寺

城影寺地図

城影寺は、山下町商店街入り口から西へ200m、公園墓地入り口にある。嘉永元年(1387年)松尾城9代の土持秋綱によって松尾城の北側に薬師如来を安置して寺堂を創建。儀傅俊光和尚が開山師に招かれ、法灯が輝いた。寺の名は月夜、松尾城の影が寺の庭に差し込んだので、山号を「月光山」寺名を「城影寺」とした。天正六年(1578)大友宗麟の侵攻によって、土持氏は滅びたので、一時廃寺となったが、御本尊の「薬師如来像」は、岡富村の宇和田の山中で見つかり法灯は引き継がれた。そこで寺堂を開いていたが、文化7年(1810)には萩町の善正寺跡に移っていた。善正寺は、北小路の南麓に移っていたが、明治維新を迎え旧地に移ることになり、その跡に城影寺を建立して現在に至っている。元・高岳寺跡だったので、延岡城主有馬氏時代の史跡が残っている。城影寺西側には、「馬頭観世音堂」がある。城影寺開基にかかわりのある土持氏の土持高信が乗った愛馬「しろかげ(城影)にちなみ、慰霊と、牛・馬がたくましく育つようにと馬頭観世音菩薩が安置してある。 境内には「日向御前お化粧の水」や「島原の乱戦死者供養碑」等があります。
 

逆光で見にくいです。
正門
延岡道路北川起点
参道に並ぶ五輪の塔群
田園風景が広がる
馬頭観音霊場
繰越峠の小山
日向御前お化粧水
道の駅北川はゆまの看板の反対側
庭園
昔は舗装もないし狭かったろうね
庭園にかかる石橋
昔は舗装もないし狭かったろうね
本殿
昔は舗装もないし狭かったろうね
島原の乱戦死者慰霊碑
道の駅北川はゆまの看板の反対側
高岳寺跡碑
昔は舗装もないし狭かったろうね
馬頭観音碑
昔は舗装もないし狭かったろうね
馬頭観音堂
昔は舗装もないし狭かったろうね
御手洗
■日向御前お化粧の水は、
   寺裏の庭園横にあります。この水で化粧をすると美人になると伝えられています。有馬直純の正室は徳川家康の曽孫で「日向御前」と呼ばれていました。日向御前がこの水で化粧していたというのです。
日向御前の詳細
■島原の乱供養碑は、
   寛永14年(1637年)島原の乱の際、延岡藩主有馬直純は、2120人の兵を率いて出陣し、戦いました。戦いでは功績をあげましたが、58人の戦死者を出しました。その戦死者を祀ったのが島原の乱戦死者供養碑です。乱後30年経った寛文七年(1667)に有馬家の菩提寺、高岳寺寺内(現在の城影寺)に建てられたもの。
■高岳寺跡は、
   城影寺の西側にあり、延岡藩主(直純、康純、永純)の菩提寺であったが、元禄5年(1692)転封と同時に新潟県糸魚川へ移した。跡地には馬頭観音が祀られている。
 
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