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慈福寺跡

慈福寺跡地図

慈福寺跡(禅宗)は旧北側道路の小梓峠に近い長尾山東麓に有ります16世紀初期の県領主土持親栄にに信仰されて繁栄し、六ヶ寺が立ち並んでいた。 この寺の住職であった藤寿(とうじゅう)は、天正6年(1578)の大友宗麟の日向侵攻に際して、土持氏の使者として宗麟に和議を申し出ましたが果たせず、割腹したと言われている。同時に寺も焼き払われたが、今はお堂が建てられ、土地の人からは「阿弥陀さん」と親しまれている。お堂の中には阿弥陀三尊像と有馬康純公の位碑を納めた厨子がある。参道の脇には南側には阿弥陀池(築造年代不明)があり、北側の高台には庚申塔のほかに、高さ2.9mの石造六地蔵があり、幢身には成徳五や宝永四の文字が読み取れますので、江戸中期の建立と思われる。
 

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六地蔵入り口
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参道
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阿弥陀池
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六地蔵
御神木親子梅
本殿
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本殿前の石像
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上人の墓地かな
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本殿前の石像
(案内板約)
1、一般に六地蔵は、室町時代後期から特に信仰されました。六道救済といって、六つの分身の地蔵が彫刻され、江戸時代頃からさまざまな形が造られる様になりました。この上にある六地蔵の種類は、一石六面憧の形状で、総高2.9mで憧身に碑文が刻印されていますが、破損がひどく一部しか読みとる事ができません。
南面:奉造六地蔵小梓山慈福禅寺
東面:聖徳五
北面:宝永四、十月四日  月  依え  中寄進
2、厨子 本寺の厨子は市内で最も古く、江戸時代中期ぐらいの作と言われています。厨子は仏像や仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するもので、正面に扉があり、家型をなしており、高さ2.08m、幅1.5m、奥行き90cmで扉の表の両脇に葡萄、裏の両脇に蓮、上に牡丹の浮き彫りがあり、本寺の阿弥陀三尊像が収められています。
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行きかた 慈福寺跡への行き方は、稲葉崎町の街中を抜けて行っても良いが、逆に10号線から伸びる広域農道に入り小梓峠のトンネルを越えたところに左に下りてゆく道があるので左折、降りきってチョッと行った所に、寺入り口の阿弥陀池や六地蔵幢がある。
慈福寺の阿弥陀伝説・・・大友宗麟の焼き討ちにも屈せず生き残った阿弥陀如来像の霊力です。