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慈眼禅寺

慈眼禅寺地図

慈眼禅寺は延岡から高千穂に向かう国道218号線を吐合で右折、曽木に入るとすぐ右に登る坂道があります。そこを登ってすぐ駐車場です。弘誓山慈眼禅寺(ジセイザンジゲンゼンジ)と称します。宗派は曹洞宗、本山は福井の永平寺と横浜の総持寺であります。ご本尊は釋迦牟尼佛、脇侍として聖観世音菩薩、十一面観世音菩薩が奉祀されています。(西暦1177年〜81年)に創立され、御開山は伝応宗達大和尚です。また幕末には勤皇僧、胤康和尚の住職された寺院であり、日向倒幕運動の拠点となりました。

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寺正面
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寺由緒
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古い六地蔵幢
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古い山門
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本殿
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天休和尚碑
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鐘楼
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胤康禅師資料館
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胤康禅師の墓
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胤康禅師の胸像
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古い井戸
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お寺墓石群
僧 胤康
   胤康は文政四年(1821)武蔵野国(現在の東京都板橋区下赤塚町)で郷士の家に生まれた。 八歳のとき同地の名利曹洞宗松月院住職天休和尚の弟子になる。天保三年天休和尚が松月院を故あって辞し、三年後の天保六年(1835)慈眼禅寺住職となった天休和尚と共に入寺する。胤康は薫陶を受けて、佛道の深奥を極めると共に兵法にも通じ、数回の諸国行脚ののち勤皇倒幕の思想を抱くに至った。当時の延岡藩内藤氏は、徳川譜代の大名であったので、勤皇を説くは不利と考え、嘉永元年(1847)豊後(大分県)竹田の岡藩中川氏が外様大名であることから、家臣に近づき勤皇思想を鼓舞し、家老中川式部中川土佐なども胤康和尚を師と仰ぎ、多くの藩士も和尚を深く帰依した。まさに機が熟して兵を挙げんとするとき、延岡藩の知るところとなり、文久2年、三月十一日(1862)暁、胤康は捕らえられた。延岡藩の牢にあること三年、元治元年(1864)の暮れ、幕府より京都町奉行へ胤康の身柄引き渡しを命ぜられ、京都に送致され、所司代の取調べを受けるうち、慶応二年四月十七日(1866)獄中で遷化した。世寿四十六歳であった。
さとらばや わしの山寺 今ここに 空にむなしき 道としらずや   胤康
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