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八戸

地図

八戸(番所跡と御仮屋)
熊田の渡しから八戸までは、北川左岸沿いの道で、白石、屋形原(やかたばる)を通ります。途中には神社や多くの庚申塔があり、古道があったことがわかります。八戸は日向における豊後街道最後の集落で、「日向地史」によると明治初期31戸で川内名村最大の集落です。ここから2.6km北川沿いの道を上流に進むと梓峠越えの上り口です。 八戸には「橋白木船着場入り口」と「八戸番所跡」の標柱と、八咫烏(やたからす)の石碑、力士梓山の墓などがあります。船着場は河口の東海と八戸を結ぶ終着の地で、参勤交代の折は舟で八戸まで、ここから先は陸路を取ったと伝えています。 八咫烏(やたからす)の石碑は、元禄八年(1695)に建立されています。八戸から梓峠の道は険しく旅人の安全を祈って、道案内の神とされる八咫烏の信仰があったことがうかがえます。
 

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八咫烏の石碑
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八咫烏標柱
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番所跡地
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番所跡地
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船着場
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町並み
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旧宿場前を流れる北川
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力士梓山の墓
■八咫烏(やたからす)の石碑:
  烏をモチーフにしたこの碑は、元禄八年(1695)建立されている。ここ八戸は。日向・豊後を結ぶ国境の宿場。梓山国境越えは行旅の難所、熊野権現の使いで道案内の神とされる八咫の烏(やたからす)の信仰があったことがうかがわれる。
■力士梓山の墓:
  江戸時代後期の力士梓山 碑面岩ヶ浜は、八戸の出身、腕力に優れ、地方の大関となる。後年江戸に上り、大相撲の大関に勝つ。帰途怨念のために毒殺されたと伝えられる。

 
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