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八峡番所跡

方財地図

八峡(やかい)番所跡は、218号線を高千穂に向かい、バイパスの入り口、蔵田から五ケ瀬川沿いに旧国道を登ってゆくと、やがて八峡川に至ります。番所跡は八峡川右岸ですので、八峡川橋を渡って右折、100mほど行くと左側の民家の庭に番所跡の標識が建っています。御番所というのは、江戸時代、延岡藩領内に設置された21ヶ所の口屋番所のうちの一つで、旧高千穂往還沿いにありました。番所のすぐ下には土橋があって、測量中の伊能忠敬の旅日記にもここを通った記述があります。また内藤家文書によると、口屋番所には口屋番二人と定番の添え番一人が置かれ、水・陸の通行者を検査し、税金を徴収していました。

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干支の町(午)八峡看板
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斬新な感じの公民館
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八峡御番所跡
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御番所跡の民家
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御番所前付近
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御番所前八峡川
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八峡川入り口の道路案内
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干支大橋を望む
賀来飛霞の「高千穂採集記」には、「曽木を発して二里、八峡に至る。此処に関所あり。右は樹木うっそうたる深山、左は川にて川舟上る・・・・」とあります。

江戸時代、延岡藩領内に設置された21ヶ所の口屋番所のうちの一つで、高千穂往還沿いにあった。延享4年(1747)の延岡津口井口屋番所付等宛行給米覚(内藤家文書)によれば、口屋番二人と定番の添番一人が置かれていた。蔵番を兼ねた添番には日別一升の米が至急されていた。同年と推定される錫鉛銅山覚書によると、猿渡(さわたり・)日平(ひびら)・土々呂(ととろ)各銅山の銅外10分に一銀と山飯米の二十分一口銀を当口屋番所で取り立てた。当番所は廃藩置県の時廃され、現在は畑地になっている。

宮崎の街道・・・宮崎県教職員互助会

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