内山観音(蓮城寺)

内山観音の地図

蓮城寺(れんじょうじ)真言宗:内山観音(大分県大野郡三重町内山527)

高野山真言宗準別格本山、有智山。通称、内山観音といわれている。欽名天皇の15年(554)に中国の天台山から渡来した僧蓮城が開山、真名野長者が寺を建立した寺である。

観音堂には本尊の千手(せんじゅ)観音、薬師堂には京都三十三間堂と並ぶ998体の薬師像が安置されている(三十三間堂が千体の千手観音であるが、蓮城寺は千体の薬師像であり薬師如来としては日本一である)。境内の丘の上には高さ22mもある巨大な般若姫像が建立され町を見下ろしている。他に「炭焼小五郎夫婦の墓」や「真名野(まなの)長者と般若姫(はんにゃひめ)伝説」、「金亀ヶ淵」など、石像だらけ、見所一杯で資料の収拾がつかなくなる程だ。さすが豊後第一の古刹である。

古い山門
古い山門入り口と灯篭
山門
山門(また撮影ミス)
山門上部
山門上部
古い通用門
山門横の古い通用門
手水舎
手水舎
水の出口
手水舎の水の出口
仏像
仏像
仏像
仏像
鐘楼
鐘楼
子安観音
子安観音
子安観音像群
子安観音像群
古い燈篭
古い燈篭と石柱
延命地蔵
延命地蔵
聖徳太子の扁額
輪蔵(市指定有形文化財)聖徳太子の扁額
五重塔
室町時代の五重塔(市指定有形文化財)
五重塔
五重塔(市指定有形文化財)

行きかた 延岡市から国道10号線を、北川で国道326号線に乗り換え、一路大分へ向かう。道の駅「うめりあ」を過ぎて峠を越えると大分県三重町に入る。やがて左手に内山観音が見え出す。参道への入り口は左側ではなく、峠の坂道を降りたあたりの右側にあるので注意。

周辺見所

  道の駅「うめりあ」

  北川ダム

  ととろの猫バス

  朝日嶽城跡

関連サイト

botan 千手観音とは

千手観音は千手千眼観音ともいわれ、それぞれの手に眼がある……。

■お抱え地蔵尊

拡大

一つだけ一心にお願いして このお地蔵さんをお抱えください。 必ず願いが叶えられます。

別府市 久垣講信者一同

■賓頭盧聖僧(なでぼとけ)

拡大

十六羅漢第一の聖僧で白髪長眉の相をそなえ、病ある者はその痛むところに従って像をさすれば平癒を得る。

本尊千手観音

本尊は、木彫千手観音の坐像で、本堂大悲閣正面現像物の後ろの厨子の中に安置され、33年に一度の御開帳がある(時に17年くらいに一度の中間帳もある)。 像の高さは96cm、寄木造りで金箔を置き、目には玉眼を入れた像で、円満のなかに荘重なムードを湛えている。頭部には11面の化仏をいただき、伏し目がちの目には慈悲の色を含んでいる。平安時代の作といわれ、昭和47年3月、町有形文化財に指定された。


一寸八分観音

炭焼小五郎夫婦は、家運富み栄え、欽明帝より真名野長者の称号をおくられ、豊後の国司の宣旨を蒙る程になったが、子供には恵まれなかった。

貿易商の竜伯が持参した闇浮提金の一寸八分観音像を信仰したところ、玉のような般若姫を授かった。般若姫は稀世の美女として遠く唐土まで聞こえ、欽明帝第四皇子橘豊日皇子(後の用命帝)と結ばれ、三年ほどして皇子は都に帰還されるが、般若姫も皇子の後を追って都に上る途中、山口県大畠浦で暴風雨に遭い、それが原因でこの地で亡くなられた。

長者は大変悲しんで、般若寺を建立して、般若姫の菩提を弔った。般若姫は遭難の時、母の玉津姫から戴いた一寸八分観音像を海に投じ、無事を祈った。後一寸八分観音像は大魚の腹中から発見され、聖徳太子(用命帝の皇子)の命により、豊後国蓮城寺に差し戻され、現在に至っている。毎年一月十日は御開帳があり、遠近の参詣者から安産又は海難予防の神として厚く信仰されている。

(案内板要略)

次へ

編集後記

この九州東北部で、これだけの史跡が残っている寺を私は知りません。仏像・石塔や伝説、それはすごいですよ。まだ行っていない方には是非お勧めです。大友宗麟は自国の仏像の破壊はしなかった、というより、出来なかったのでしょう。明治の廃物希釈も大丈夫だったのでしょうか。残念なことに史跡が多すぎて、私の記憶に定かではありません。間違った記述もあると思いますが、まずは写真展示会と受け取ってください。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.