鵜戸神宮

鵜戸神宮 :(宮崎県日南市宮浦3232)

油津駅からは15分程で、古くから鵜戸神宮の門前町として栄えた鵜戸の集落に着く。日向灘に面した鵜戸埼岬の突端、断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの巨大な岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座する変わった神社である。その威容はあくまでも厳かである。 現在の社殿は1968(昭和43)年に修改築を行い、1997(平成9)年に屋根の葺き替え、漆彩色の塗り替えを終え鮮やかに復元されている。例祭は2月1日で四半的大会、剣道大会で賑わう。

御門
御門前参道
地図
地図
神犬石
八丁坂から御本殿を御守護するように見えるところから神犬石と呼ばれている。
御門
御門
古狛犬
鵜戸の古狛犬
神武天皇御降誕伝説地石碑
神武天皇御降誕伝説地石碑
稲荷神社
稲荷神社
宝物庫
宝物庫かな?
海岸線
参道から見た海岸線
手水舎
手水舎
工業港入り口
燈籠十基、飫肥藩主伊藤祐久公、慶安元年八月吉日(江戸時代初期)
階段参道と鵜戸神宮
階段参道と鵜戸神宮
亀石の案内
亀石の案内
亀石の周囲の岩場
亀石の周囲の岩場
亀石
亀石
本殿
本殿
皇子神社
皇子神社
お乳岩
お乳岩 - 本殿裏にある乳房に似た2つの突起で、豊玉姫が綿津見国へ去る時、御子の育児のために左の乳房をくっつけたものと伝え、主祭神はそこから滴り落ちる「お乳水」で作った飴を母乳代わりにしたという。現在も安産や育児を願う人々から信仰されている
鵜戸山八丁坂の石段
鵜戸山八丁坂の石段
この石段は上り438段、下り377段の合計815段、尼僧が頭に磯石をかついで築いたと伝えられている。
中央部がすり減っている
平安時代より江戸時代に磯石にて築かれ、参拝者の往還で中央部がすり減っている。

鵜戸神宮とは ・・・ウィキペディア

亀石

本殿前にある霊石で、豊玉姫が海神宮(わたつみのみや)から来訪する際に乗った亀が石と化したものと伝える。石頂に枡形の穴が開くことから「枡形岩」とも呼ばれ、その穴に男性は左手、女性は右手で願いを込めた「運玉」を投げ入れることで願いがかなうといわれている。

かつては貨幣を投げ入れる風習であったが、1952(昭和27)年頃、落ちたお金を求め崖を降り磯に出る子がいて問題になった。このため、賽銭に替わるものをと鵜戸小学校、鵜戸神官ともに試行錯誤した結果、1954年(昭和29年)から鵜戸小学校の児童らによって作られる、粘土を丸め運の文字を押した素焼きの「運玉」が使われることとなった。

玉橋 玉橋

「神橋」とも呼ばれ、釘を一切用いない橋板36枚からなる反橋で、金剛界37尊を現す(36枚の橋板が36尊を、橋を渡る本人が1尊を現す)と伝える

玉橋

御霊石

この御霊石は、室町時代中頃より祀られており、鵜戸山大権現仁王護国寺の信仰のなごりと思われる。 願い事は諸願成就し国家安泰を祈祷して霊験あらたかと伝えられている。

念流・陰流発祥の地

南北朝時代に念阿弥慈恩が、室町時代に日向守愛洲移香が、それぞれ鵜戸の洞窟に籠もり剣術修行に励んだと伝える。特に後者は、満願日の早朝、目の前を横切る影を相手に新剣法を会得したためにこれを「陰流」と名付けたといい、その影は秘奥を悟らせるために神が憑依した猿のもので、こうして生まれた陰流が、新陰流などの流派の祖となったとされる。

鵜戸神宮は神武天皇の父日コナギサタケウガヤフキアエズノミコトを主神として5神を祀る事から鵜戸六社大権現と称しており、鵜戸神宮本殿(県文化)の創建の時期は崇神天皇の時代と伝えられている。782(延暦元)年に天台僧光喜坊快久が、勅命により初代別当として神殿を再興し、同時に寺院を建立して、寺号を「鵜戸山大権現五平山仁王護国寺」と勅された伝えられる。また真言宗に改宗されたこともあり、一時は西の高野」といわれ、両部神道の一大道場として、隆盛を極めていた。

宮崎県の歴史散歩

編集後記

何回か来たことがあるが、駐車場がその都度違うみたいで地理が良くわからない。今回は特に雨天のため、撮影するのに困った。しかしこの神社ほど参拝客の多い神社も少ないだろう。まだよく解らないが伝説と歴史に満ちた神社である。しかし自然のなす技とはいえ、このような巨大な岩窟がよく出来たものだと驚かされる。

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