漆野原の一里塚

漆野原の一里塚の地図

漆野の一里塚:(宮崎県西諸県郡野尻町大字紙屋漆野原503の90)

この一里塚は漆野原一番の高台地にあたり、諸県一帯が眺望できます。更に西へ4km行くと池之原一里塚です。一里塚は宝永三年(1706)ごろに薩摩藩が鹿児島市札辻を基点として、綾に至る街道に一里ごとに築きました。塚は5間(約9m)四方の盛り土をして、それぞれの中央にエノキ等が植樹されていました。旅人にとって行程の良い目安となると共に、夏には木陰となり、休憩の場所になりました。しかし新しい道路が開削されるなど、利用度が少なくなり、原型を失うようになりました。明治25年(1892)には、新しい県道が北側500mの所に開通しました。また昭和五年(1930)漆野原台地の開田によって、池の原一里塚跡とともに二箇所だけ原型をとどめています。

引用:宮崎の街道(宮崎県教職員互助会)

案内板と一里塚
案内板と一里塚
まるで小さな古墳みたいですね
まるで小さな古墳みたいですね
一里塚を望遠
一里塚を望遠
工業港入り口
一里塚前の道路です。

行きかた 国道268号線の紙屋にある紙屋大橋の手前の信号を右折。クネクネと坂道を上ってゆきます。ややこしいですが、丘の頂上付近ですので、行けるように行けば行けます(アレッ)。自分でいったい何を言っているのやら……。ハッキリとは思い出せないのです。誰かのHPの「わかんねえ〜」本当にその通りです。

旧街道

綾二反ノ原近くの公民館から山の中にはいると、山中には松並木跡の古株が残り、旧街道の面影が偲ばれます。そこから1.9kmで「瀬越渡」を渡ると横内に着きます。ここから街道は、九十九(つづら)折の険しい坂道となり、2km程で漆野原一里塚です。

漆野原一里塚

県指定史跡 昭和11年7月17日指定

一里塚は、江戸時代初期慶長九年(1604)江戸日本橋を基点として、主要街道沿いに一里ごとに、目印が設けられたのに始まる。この一里塚は、昭和5年の漆野原開田事業の際の開墾により、約2m掘り下げられて現状をとどめている。

引用:現地案内板より

編集後記

このような一里塚の原型は初めて見ました。この道は綾町に通じる旧街道らしいです。昔の旅人はこのような目安で旅をしていたのですね。それに比べて今はナビで便利ですね。私の多目的車には当然付いていませんが……。時々わけがわからなくなるので、方位磁石だけは付いています。

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