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東海観音堂

東海観音堂地図

観音堂は金精山補陀洛院東海寺の跡であり、安置された十一面観世音菩薩は同寺のご本尊であり、人皇45代聖武帝の御世、即ち天平九年(約1250年前)日向を行脚中の行基菩薩の作と言われます。土持氏の信仰厚く、特に親成公(約430年前)時代に再建され、更には有馬公、三浦公、牧野公、内藤公と延岡歴代の藩主が尊崇され、寺領を賜るなど、その位置づけは東海の辺地にありながら、大変重要視されてきました。ところが残念なことに享保16年(徳川吉宗代)正月、火災により炎上したと古記に残されています。ついで2年後の享保18年、(260年前)藩主牧野公の時、新規に東西三間半、南北三間の観音堂を建設、ご本尊の十一面観世音菩薩は勿論、地蔵尊、羅紗門天、弘法大師等を合祀されたとあり、大変貴重な文化財であります。
 

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案内標柱
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古墳案内
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全体、後ろの山は古墳
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拝殿
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参道脇の石垣
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観音堂案内
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琴弾松の手水石(後記)
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琴弾松の手水石(後記)
県指定史跡延岡古墳群 第33号墳
延岡古墳群は、東海、岡富、常富、地区に点在する19基の古墳の総称です。延岡古墳群の一部は、大正14年から昭和4年までの間に、東京帝国大学講師鳥居龍蔵博士によって、調査が行われました。又その後も、昭和20年から40年にかけて、数回の調査が行われています。これらの調査により、東海地区の桜ヶ丘、樫山、稲葉崎、無鹿、中東海、岡富の坊内山などの古墳は、緑泥片岩(りょくでいへんがん)の箱式石棺を内部主体(死者を葬ったところ)としていたことが明らかになりました。ここ中東海観音堂裏山からは、数基の箱式石棺が出土したと言われ、県指定史跡第33号墳に指定されています。また付近の川口地区、竹ヶ谷からは箱式石棺が見つかり、管玉などが出土し、須恵器の大甕(おおがめ)も出土しています。
琴弾松(ことひきまつ)の歌が刻まれた手水石
この歌は、平安時代に日向の国司源重行が「白波の寄りくる糸を緒にすげて 風にしらふる琴弾松」と詠んだと伝えられ、藩主有馬公が土々呂の霧島神社より、この地に運んだと言われています。
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