東光寺跡(十三仏板碑)

高鍋城の地図

東光寺跡(十三仏板碑):(宮崎県児湯郡高鍋町家床)

持田古墳群のある東都原台地の東側山麓、丁度高鍋大師の斜め下に位置する。寺跡の広場の北側一角には、今は家床営農研修センターが建っている。その東端・入り口の右側に東光寺十三仏板碑をはじめ、数体のお地蔵様が立っている。その3m四方くらいの一角だけが、時代から取り残されているようだ。しかし信心深き地域の人たちに大事に守られているらしい。周囲には色とりどりの草花が咲き乱れていた。 東光寺の開山年は不明だが、中興開山は文禄年間(1592〜1595)に、再び開山したことになっているから歴史は相当に古そうである。

工業港入り口
東光寺広場と家床公民館、奥には白い鳥居。
工業港入り口
丸い自然石のお地蔵様
工業港入り口
四角のお地蔵様
工業港入り口
十三仏板碑の仏像(全体像は右を御覧下さい)

行きかた 国道10号線を川南から高鍋に南下し、鬼ヶ久保交差点を過ぎ、右側の水車のあるデッカイ食事処を過ぎて間もなく。左手に池が二つ見えます。そこを過ぎたあたりの右側に持田古墳への案内板があります。そこを右折、道は細いですが短距離です。やがて右手約20mに、東光寺跡である家床営農研修センターの建物が見えます。

周辺見所

botan 高鍋大師

botan 持田古墳(取材中)

関連サイト

botan 板碑とは

板みたいな石仏は、全て板碑と思っていましたが……。

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十三仏板碑

ここに東光寺十三仏板碑がある。これは鎌倉時代末期の永禄5年(1562)の作で、石質は砂岩、高さ約1.6m、幅36cmの四角の石柱に13の円をくり貫き、そこに一つづつ計13の仏像を浮き彫りにしたもので、県内でも珍しく町指定の文化財になっている。 完全な形で現存している十三仏板碑は県内でも少ないという。 下段に次の刻銘がある。

南無大師遍照金剛 大和尚阿闍梨 □寿祐全□□
右奉為権大僧都祐探法印 大願主権大僧都□□□
□ 永禄五天□□□

永禄5年(1562)といえば伊藤氏支配の時代である。 伊藤氏の武将落合氏が財部城(舞鶴城)に居城した時期である。天正五年(1577)に、伊藤氏は島津氏に大敗し、日向を逃れた。以降に東光寺は衰退したのであろう。

十三仏板碑の横に地蔵(石造り)がある。建立年月日は、宝暦三年(1753)十月吉日である。

引用:高鍋・木城・串間紀行(田浦チサ子著)

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十三仏板碑の中の仏像です。

稲荷神社

■稲荷神社:広場の奥にある白い鳥居をくぐって、階段を少し登ると、小さなお堂がある。中には三叉の鉾が祀ってあるらしいが、今回はわからず、階段途中でパスした。

編集後記

今は往時を偲ぶべくも有りませんが、十三仏板碑が現存しています。また奥の稲荷神社には「三叉の鉾」があるとの事。宮崎では「三叉の鉾」の話を良く聞きますね。有名なのは霧島連山の高千穂の峰ですが、あそこまで行けるのは何時のことか……。この付近でもあるらしいですよ。まだ行っていないので詳しくは言えませんが、高鍋町の大学構内、日向市の細島旧フェリー埠頭の近く等々。

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