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「石垣の村」戸川

戸川地図 ココ

戸川:(宮崎県西臼杵郡日之影町戸川)

杉ヶ越から始まった見立渓谷も後7キロで五ケ瀬川と合流という地点に、一種の石文化があります。自然石を積み重ねて棚田を造り、畳一枚ほどの巨岩を樹木で作ったコロやテコを利用し、石垣、宅地、石倉、防風垣と全てを造ったといいますが、これほどの石を一帯何処から持ってきたのでしょう。下の川から上げるにしても、かなりの高低差があります。足下の岩盤の石なのでしょうか。背後には急峰戸川岳が覆いかぶさり、日之影川へと落ち込んでゆく。そのほんのチョッとした暖斜面に、村全体が石造りといった感じの「石垣の村」戸川はあります。石垣は何処も整然として時の衰えを感じさせません。そこには当時の破格な技術力が感じられます。

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水車小屋(平10年復元)

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水車小屋内部

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水車小屋周辺棚田

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石蔵

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石倉

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バス停

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民家入り口通路

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階段

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石垣茶屋(平4完成)

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神社かな?

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車庫も石造りなのです

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道路

botan 今は僅か7軒の静かな村ですが、過去はいったいどうだったのでしょう。この村にいつ頃から人が住み始めたのか不明です。それから元は9軒だったというのですが、たった九軒、しかも農閑期の賦役だけで、これだけの石造物が出来たとは思えません。労働力を確保できるほど、もっと大きな村か、経済的に裕福な村だったのでしょう。謎を秘めた村でもあります。

botan 宅地や耕地のほとんどが石垣で築かれており、口伝によれば、最古の石垣は嘉永年間(1848〜1854)から安政年間(1854〜1860)に築かれたといわれ、坂本寅次郎さん(明治2年69歳没)、富士本嘉三郎さん(明治34年71歳没)の二名は石工の技術を見込まれ、安政二年(1855)の大地震で崩れた江戸城の修復工事に召されたという。石垣工法を習得して帰り、集落の石垣を造ったと伝えられている。石垣の工法には「野づら積み」「切込萩」などがみられる。

botan 大正14年(1925)年、4月の宮水までの通水前後、現在の七折用水を利用するようになり、開田が進み稲作中心の農業に変わっていった。また山地も終戦直後はシュロとコンニャクイモの栽培が盛んであった。しかし徐々に杉・ヒノキの栽培に変わった。

botan 平成11年には、「日本棚田百選」に認定。翌年には「第八回美しい日本の村コンテスト」では全国農協中央会賞を受賞。さらにはトロッコ遊歩道で読売新聞社の「遊歩百選」にも選ばれた。

編集後記

拡大 普段の日も、入っていっても何もおっしゃらないのでしょうが、この村を取材しようとすると、どうも人の家に無断で入ってゆく罪悪感は拭い去れませんでした。県道以外、どこまで入っていいのかわからないのです。それでポイントとずれた写真ばかりになりました。今度近くの出羽遺跡や日隠林道(今回は道路損壊で、チョッと行ったら通行止めでした)に行ったとき、再度訪れたいと思います。

私がジーとみていたら……。

合鴨「かわいいでしょう。私はまずいし、食用ではありませんよ」

私「知ってるよ、合鴨ちゃん。おいしそう!」……「しかし今回は疲れたな。何でだろう」

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行きかた 日之影町から日之影川沿いに上流に向かって約7kmで「石垣の村」戸川に着く。道は広くは無いが、走りにくいということも無い。
周辺見所

botan 木浦鉱山

botan 連光寺湧水

botan 杉ヶ越大明神

botan 神太郎水神

botan 七折用水

botan 石棚

botan 神太郎水神

関連サイト

botan トロッコ遊歩道

現在の県道ができるのは、まだ後世の話で、道が狭く、緊急時など人々はトロッコを利用していました。

botan 見立道路

今、村を走っている県道は、見立鉱山の発展と共に整備されてきた鉱山用の道路です。

拡大 戸川岳全山が石灰岩で東側は断崖絶壁になっており、所々に小さな鍾乳洞が見られる。代表的な植物は 柚子、ビャクシンの天然林で、柚子の天然林は南東の傾斜地から断崖の中腹にかけて集中自生していたが、現在は見られない。昭和36年2月13日日之影町が熊本営林局より払い下げを受け町有林になった。
拡大これは改築中の家の側にありましたが、石部分と木造部分の接合方法なんでしょう。石穴に差し込む木部部分は細くなっています。