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鎮西八郎為朝腰掛けの岩

鎮西八郎為朝腰掛けの岩地図

岩は長寛2年(1164)鎮西八郎為朝が、武運長久の祈願のため行縢神社に参拝の途中腰掛けた岩と言い伝えられている。
鎮西八郎為朝とは、源為義の八男で源頼朝、義経の伯父にあたる。巨漢で身長は七尺を超え、左腕が右腕より四寸も長かったと言われています。大変武勇(特に弓の名手)に優れていたが、性格は荒く傍若無人であったため、13歳のとき親に勘当されて九州に流された。しかし豊後の阿蘇氏の入り婿になって、頭角をあらわし、鎮西八郎為朝と名乗って、独断九州を平定するために各地を転戦して回り、その威風を都にまでとどろかせました(九州各地に伝説が残されている)。縣(あがた)を支配していた土持栄妙と長寛2年(1164)に戦い、主戦場は宮崎市の大塚、戦場越、陣が原等。土持軍は打ち破ることが出来ず、和議を結んだという。

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案内柱
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腰掛の岩
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岩と前の道路
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岩より青少年自然の家を望む
為朝のその後は、いろいろとあって、最後は大島に流され、またいろいろとあって、最後は朝廷軍に攻められ、自害して果て、首は京都に送られたと言う話ですが、琉球の王になったという伝説もあります。義経のチンギス・ハン物語みたいなものかな。
また此の岩は「触ると腰が痛くなる」と言われている。

周辺見所
行縢神社
大日寺跡

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