畳堤(延岡五ヶ瀬川)

延岡の畳堤 :(宮崎県東諸県郡綾町南俣大口5691-1)

延岡の五ヶ瀬川流域に、かって水害の時、重要な役割を果たした畳堤なるものが今も残っています。10年ほど前でしょうか。今はマスコミその他で取り上げられ、有名になっていますが、当時は知られてませんでした。私も「畳堤を守る会」のホームページを見て訪れたことを覚えています。 最初見たとき、エッ、コレ何?と思いました。堤防に穴が開いているのです。ここから水が入ってくるではないかと思いました。しかし後から知った事ですが、先人の知恵が有ったのですね。「いつ来るかわからない水害のために、町の風通しが悪くてはいけない」というようなことなのでしょう。しかし、畳を利用するとは、奇想天外な発想です。

モニュメント
モニュメント
川を守る水神様
川を守る水神様
畳堤と情報ボックス
畳堤と情報ボックス
畳を入れている様子
畳を入れている様子
左岸の畳堤
左岸の畳堤
畳堤(上方より)
畳堤(上方より)
畳堤(下方より)
畳堤(下方より)
扇形の畳堤
扇形の畳堤

延岡城址

延岡藩歴代の本城。

内藤記念館

延岡藩最後の藩主内藤氏の別邸で、資料が展示してあります。

畳堤とは

ウィキペディア。

畳堤は高さ60cmの橋の高欄(こうらん)に似たコンクリート製の堤防で、上から見ると幅7cmの隙間があります。この隙間に畳をすっぽりとはめ込みました。

昭和44年に完成した方財町締め切り堤が出来るまでは、台風などで川の水が堤防を越えて氾濫する前に、畳を立てて洪水を防いだのです。地もとの人たちは昔から「高欄」と呼んでいましたが、正式の名称は特殊堤防「畳堤」です。現存している「畳堤」は、延岡市街地の船倉町、紺屋町、中央通の一部、祇園町の一部、北町の五ケ瀬川沿いの堤防です。延べ980mが今も残っています。昭和初期に作られた現存する国内最古の「畳堤」です。黒ずんだコンクリートの小石が一部露出しているものの、まだしっかり原型をとどめています。

昔は、大瀬川沿いにも設置されていました。

方財町締切堤・・・今は大瀬川を締め切り、切れ港のほうに常時流してあります。

(引用不詳)

畳堤の由来:

五ケ瀬川、大瀬川、北川、祝子川という4大河川に抱かれた水郷の街延岡は、反面、絶えず大洪水被害に悩まされてきた街でもあります。昭和44年に完成した方財締切堤以前は、大瀬川は方財の町から北上し、五ケ瀬川に合流していました。五ケ瀬川河口は狭く、更に北川・祝子川の2河川の水も流れ込むため、一度洪水になると流水は一気に膨れ上がり、市街地は浸水の危機にさらされました。浸水被害を防止するためには、大瀬川下流の毛なし浜という砂地を切り落とし、直接海に放流することは必須の条件でした。

ですが、それでは方財町の唯一の生活道路が水路で寸断され、2、3ヶ月の長きにわたって通行出来ない事になります。また毛なし浜の切り落としは、至難の業で命がけの作業でした。そこで市街地と方財町の交渉が長引くために、その間の緊急対策間に合わせとして畳堤が考案されたと考えられます。

◇五ケ瀬川の畳堤を守る会

会長 西本師子・・・会の行事等詳しくはこちらでどうぞ。 

<引用資料>:畳で街を守る・・・国土交通省、五ケ瀬川の畳堤を守る会。

編集後記

隠れた財産、全国で三か所しか残っていない畳堤、目立たないが、地元民にとってこれは貴重だと思う。今延岡の観光というサイトを創ろうとしているが、観光地といってもほとんど無いに等しい。保存会の会員さんたちは立派だね。今日お菓子屋さんに行ったら資料が置いてあった。思い出して古いサイトをリニュアル。写真は10年前のものです。(関係ないか!)

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