丹賀砲台

丹賀砲台 :( 大分県佐伯市鶴見大字丹賀浦577)

鶴見半島の先端近く、遠くから一見したら海運業の倉庫かと思われるような景観である。やがて駐車場に着く、そこから軍事要塞の様相が見え出す。今はエレベーターが故障のため、脇の山道をおよそ15分、砲台跡にたどり着く。中に入ってこれはびっくり、今も現役に近いほど整備され、70年の時の経過を感じさせない。螺旋状の鉄の階段は手すりを握りしめないと登れないほど高い。

山全体が要塞、頂上からは雄大な太平洋に連なる豊予海峡、終戦近くこの海峡を戦艦「大和」も通ったのだろう、感慨にふける。

要塞の遠景
要塞の遠景
要塞の入口
要塞の入口
駐車場
駐車場
平和の塔
平和の塔
要塞入り口
要塞入り口
戦闘機のプロペラ
戦闘機のプロペラ
登り口
ここを登ってゆく
要塞の内部
手入れされている要塞の内部
頂上の砲台跡
頂上の砲台跡の記念館
砲台跡
砲台はここに伸びていた
豊予海峡
豊予海峡
豊予海峡
豊予海峡

鶴見崎灯台

作成中

鶴見崎要塞

作成中
豊後水道要塞
丹賀砲台園地
営業時間  9:30~16:30
定休日   火曜日・水曜日/12月29日~1月3日
入園料   大人200円 小人100円 5歳未満無料
所在地   佐伯市鶴見大字丹賀浦女郎崎
駐車場   15台・バスOK 
電話番号  0972-33-1111(鶴見振興局)

※30名以上の団体客は3割引  ※小人は小学生以下
 
現在はエレベーター故障のために入園料無料。

豊予要塞(ほうよようさい)とは・・・ 豊予海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞である。1920年(大正9年)の要塞整理方針に基づき工事が着手された。1921年から1930年まで第一期工事を実施し、1931年以降に第二期工事が実施された。この要塞の建設により、芸予要塞(げいよようさい)・広島湾要塞が整理され廃止となった。 太平洋戦争を控え、1941年11月に警急戦備が下令された。 1942年1月、丹賀砲台(砲塔砲台)で実弾射撃の際に右砲身の砲腔破裂事故が発生し、砲台が破壊され再生不能となった。同年3月、代替の砲台として鶴見崎砲台(15㎝カノン砲)の工事に着手し、同年9月に竣工した。

丹賀砲台爆発事故 太平洋戦争勃発直後の昭和16年12月下旬、豊予要塞司令部、要塞重砲兵連隊などに線時編成が令達された。これに基づき要塞重砲兵連隊は、1か月後の17年1月11日に鶴御崎丹賀砲台で30センチカノン砲の実射訓練を実施した。しかし、この実射訓練の終わりに発射した弾丸が腟発し、砲台は一瞬の内に破壊され、多くの死傷者を出す事態が発生した。

丹賀砲台跡

丹賀砲台は、豊予要塞司令部に属し、豊後水道一帯の守護要塞であった。昭和二年(1927)六月に着工し、昭和六年(1931)九月に完成した。 砲弾揚場の階段は172段ですべて花崗岩である。主砲30センチカノン砲二門は巡洋艦「伊吹」の後部主砲であった。昭和17年(1942)1月21日の演習で、それぞれ四発の試射中、最後の一発が暴発し、死者16名、負傷者28名を出す大惨事となった。忠魂碑は生き残った兵士たちによって事故直後建設されたものである。(佐伯市教育委員会)

編集後記

美しい鶴見崎半島、戦争とは辛いもの、今も残る丹賀砲台は時を超えて往時の様相を伝えてくれる。こんな地域でよくもこれほど維持できたものだと感じいる。これほど徹底的に遺跡として残っているところは少ないだろう。私も初めて知ったのだから知らない人は多いのではなかろうか?是非一度たずねてみることを推奨したい。

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