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竹谷神社

竹谷神社地図

竹谷神社の主祭神は、神石に宿るというニニギノミコト、明和8年(1771)に勧請。。他に大峡の熊野神社に祭っていたイザナミノミコト、ハヤタマオノミコト、コトサカオノミコトの3種類を合祀する。神社創建伝説によると、大峡の信心深い「長右衛門」が病気になった。ある夜、夢枕に白髪の翁が現れ、「可愛岳(えのたけ)のふもとの谷間、竹が逆さに生えている所の側に岩が横になっている。その岩を立てて祈れば病気は良くなる。われは『ニニギノミコト』である」とのお告げ。長右衛門が行ってみると大岩が光っており、それに触れると岩が立った。周囲を清めて神々として祭ったところ長右衛門は元気になったという。 難病を救い、勇武の神となった"竹谷さん"には、旧延岡藩主も毎月参拝。神社近くに「御仮屋」があり、参道筋には参拝者をもてなす八軒の茶屋が並んでいたと伝えられる。
 

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途中の橋
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美しい川
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参道
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境内の大杉
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遠景
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鳥居
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拝殿
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奥の本殿

botan 御神体は巨石:社殿の中に納まっている剣先形の大きな石が御神体である。高さが五尺五寸(約1.82m)、周囲が八尺2寸(約2.7m)となっている。御神体以外にも境内には大きな石が点在している。社殿は明治十年の西南戦争で焼け、さらに明治28年4月18日の山火事で類焼して再建され、またこの程新築された。竹谷神社には「明和八年」と刻んだ手水舎があり、谷川の水を引いている。鳥居や石段は昭和16年に大峡地区民によって造営された。社伝脇には「おこもり堂」もあった。

botan 賀来飛霞の高千穂薬草記によると、飛霞が延岡に来た時、長右衛門の子孫と名乗る人から見せてもらった神像(長右衛門が夢に出てきた神の姿を画家に頼んで書いてもらったもの)は、「紙はひどく破れ、又汚れているが、白い服を着て黄金作りの剣を腰にし、赤い帯をしていた」と記録している。

botan 病難を救い、勇武の神となった竹谷神社には、延岡藩主も参拝したといわれ、神社脇に藩主が休む「お仮屋」があり、近くに「八軒の茶屋」もあったと伝えられ、八軒茶屋の地名も残っている

botan この神社は武運長久の神様として、尊崇が厚く、日清・日露戦争・太平洋戦争では県北一帯から来参者が後を絶たなかった。ワラジを供えて無事を祈り、帰還者はお礼のワラジを供えたといわれている。又実際古老から、戦中も赤紙を貰ったら必ずここに参拝したと言う話も聞いた。少し悲しいが・・・。
行き方は、国道10号線を北上、和田越えトンネルを越えて、一つ目のJRの踏切を左折、そこに案内板が立っている。高校の横を通り、大峡谷川沿いに上って行くと突き当りに鎮座する。道路は細いが舗装されていて、対向車もなく、走りやすい。ここのお水はおいしいよ。

資料:民族探訪ふるさと365日(秋山榮雄著)
 

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