高千穂郷は、古来神武天皇の兄ミケイリノミコトの子孫と称する三田井氏が治めていましたが、天慶年間(938〜946)に家系が絶え、豊後の国大野郡領主大神大太惟基(おおがだいたこれもと)の長子太郎政次を養子に迎え、代々高千穂太郎を通称したと伝えられています。高千穂太郎の墓は、初代政次の墓として毎年4月15日を例祭と定め、里人により大切に祀られております。また初代高千穂太郎政次の墓の後ろには、最後の仲山城主三田井越前守親武の墓もあります。
延岡城主高橋元種により滅ぼされるまで、三田井氏の本城であった。