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仲山城址

仲山城址地図

仲山城由来
高千穂は隣国豊後より10世紀の半ばに、高千穂太郎政次が高千穂に入り、以来高千穂郷の領主として平和郷を構築してきました。14世紀に至り、本家は高千穂氏から三田井氏になり、この仲山の要害を高千穂48塁の本城として郷内を治めました。戦国時代末期、豊臣秀吉の九州平定の国割りにより、高千穂郷は延岡城主、高橋元種の支配地になり、三田井氏の抵抗もむなしく天正19年(1591)9月、仲山城は落城し、六百数十年続いた三田井氏は滅亡しました。郷内大半を一望できるこの城址の周辺には、領主館や一族の重臣の館跡があり、宿千軒、宿の谷などの地名が残っている。又近くには三田井氏の菩提寺であった義雲寺跡もあり、ところどころに旧道の存在が認められます。

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仲山城址
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管理棟だが千木造り
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本丸跡かな?お堂
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建物跡らしきところ
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向こうは岩戸地方
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広い芝生公園
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刻み跡の残る石
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発掘中の遺跡
福井県の朝倉遺跡をご存知だろうか。同じ戦国末期の遺跡であるが、当時の町そのものを復元している。この地を最初に見たとき、町復元の可能性を感じた。すでに一部始めてはあるみたいだが、案内が足りない。下の高千穂峡までは観光客が溢れ、駐車場を利用できなかったほどに観光客が来るのであれば、更にここに中世の町の復元。無駄な木々を伐採して、櫓を立て、そこから見る高千穂郷の絶景は見る人に感動を与えるに違いない。そうなれば高千穂線は絶対に残さねばならない線路になるであろうに、時既に遅し。

関連
◇宮水神社・・・三田井氏最後の領主三田井親武を祀る神社です。首塚もあります。
◇高千穂・・・高千穂郷の全体です。
◇三田井氏48塁・・・高千穂町教育委員会のまとめた資料です。



<引用資料>:宮崎の街道・・・宮崎県教職員互助会
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行きかた   仲山城址は高千穂峡を降りて橋を渡り、駐車場の前を過ぎて、坂道を上がってゆく。そしてやがて高千穂太郎の墓への上り口がある。そこからまた300mほど、右に上がってゆく道があるので右折(ここがわかりづらい。「飛び出し注意」の小さな看板があるだけ。)して登ってゆくと広い公園に出る。そこが仲山城址である。上の岡の上に石碑があるだけで、公園に看板は無いので、最初は何だろうと思う。
周辺見所

botan 高千穂太郎の墓

延岡城主高橋元種により滅ぼされるまで、六百数十年の間、歴代三田井氏の領主の墓。