亀山城跡

亀山城跡の地図

亀山城跡 :(西臼杵郡高千穂町三田井大野原)別名:大野原(おおのばる)城)

高さは100mくらいはあるだろう。岩戸川に架かる亀山城橋。はるか下の方に川筋が望める。巾はさほど無い。オーイと呼べば対岸からハーイと答える?(歌の文句に有ったっけ!)くらいの距離(100mチョッと)である。永年岩戸川の激流に浸食され、垂直に聳える懸崖は、弓矢の時代ならまさに難攻不落の城砦であったろう。

城跡は今は有志の人達によって守られている。雑草は刈られ綺麗に手入れされていた。細い道を抜けると一番小高いところに石の祠や記念碑、墓石らしきものがあった。昔の天主の跡なのであろうか。そこを取り囲むように周囲には、建物跡らしき広場が広がっている。

亀山城橋
亀山城跡下流に架かる亀山城橋
亀山城橋
亀山城橋
橋上からみる渓谷全体
橋上からみる渓谷全体。左手が亀山城跡。
亀山城跡周辺
亀山城跡周辺。道路右手に駐車場。
ここから入ってゆく
ここから入ってゆくが、普通車は手前のPに駐車することが無難。
狭い三叉路
わが多目的愛車でも狭い三叉路。建つ案内板は朽ちて良く見えない。
三叉路を左に
三叉路を左に少し登る。
大広間
往時は大広間でもあったのだろうか。酒盛りもしたのだろうね。
天主の跡
天主の跡であったのだろう。ここが中央部。兵共が夢の跡。
落城400年碑
落城400年碑が建っている。
石塔や慰霊碑
石塔や慰霊碑。
竹林
渓谷沿いの竹林。
行きかた 高千穂バイパスから緒方高千穂線を天岩戸神社方面に向かうと、大野原の交差点から右に下る道路がある(左に行けば「天岩戸温泉」。そこを右折して300mぐらい下ると、岩戸川沿いの左手懸崖の上にこんもりとした森が見える。直接入って行っても良いが、Uターンが不安な人はその付近の道路端にたくさん駐車場があるのでそこに停めたほうが無難かも(徒歩5分)。(亀山城橋までは行かないよ。また城の案内板は無いので注意。)

周辺見所

  歴史の街「高千穂」

  高千穂峡

関連サイト

botan 仲山城跡

高千穂峡の上にある三田井氏の本城の跡です。

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高千穂48塁(亀山城跡)

高千穂は代々三毛入野尊(ミケイリノミコト)の子孫と伝えられる三田井氏が治めていたが、隣国の大神氏の勢力が広がるにつれ、豊後介大神惟元(ぶんごのかみおおがみこれもと)の長子が十世紀の半ば、高千穂太郎政次(まさつぐ)として高千穂に入り、以来高千穂郷の領主として平和郷を構築してきた。

14世紀に至り、本家は高千穂氏から三田井氏となり、郷内の地は一族重臣が分居して治めた。16世紀の頃、この地は富高(とたか)氏が支配し、高千穂48塁の一つとして亀山城を築いた。戦国末期豊臣秀吉の九州平定後の国割りにより、高千穂郷は延岡城主高橋元種の支配地となり、反抗する三田井氏に対し、1591年(天正19)9月高橋軍は総攻撃をかけ、亀山城主冨高弥十郎長義は数十人の家臣と共に迎えうち善戦するが、野方野口(ぐち)からの砲撃により落城する。この時、家老藤田左京は城主一族を脱出させ、自刃したという。城山の見える高台には忠死した左京を偲び、左京大明神社が建立されている。

高千穂町教育委員会

編集後記

三田井48塁には、自然の懸崖を利用したこのような城が多いですね。どうやってこのような城を落城させたのであろうと思っていましたが、この時代、既に大砲があったのですね。小さな城ですので、対岸から大砲を打ち込まれたら、逃げ場もなくどうしようも無かったでしょう。横から飛んでくる砲弾、驚愕し、逃げ惑う兵士達。往時の様子が目に浮かびます。

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