昌竜寺

舟の尾の地図

昌竜寺:(宮崎県西臼杵郡日之影町舟の尾)

昌竜寺は、大永元年(1521)に八戸城主津隈越後守によって、熊本から薬師如来を迎えて薬現寺として建立された。その後高千穂の三田井氏は高橋元種によって滅ぼされたため、一時法灯も消えかかったが、寛永2年(1625)延岡領主有馬直純は舟の尾に代官所を置き、土地の有力者津隈宣次を重用。宣次は薬現寺を舟の尾の丘の上(尾の上)に移して、月山心甫和尚を迎えて開山法要をし、雲峰山・昌竜寺とした。

この地はかって八戸城主津隈越後守が築城した城跡であり、よって菩提寺とした。文政10年(1827)に火災にあい、同11年に改築された。本堂には延岡城の二の丸書院が移され、藩主牧野家仏間としたという。 名前の由来はふもとの五ケ瀬川左岸の八戸から舟の尾を見ると西側の役所山に雲がたなびき、波に浮かぶ舟のように見え、寺堂を包む霧は渦を巻き”龍”が天に昇るように見えたところからの山号・寺号である。

引用不詳

工業港入り口
入り口附近
工業港入り口
正面山門
工業港入り口
本堂
工業港入り口
裏の墓碑群
寺正面より
寺正面より
監物堂
監物堂
堂内
堂内
水子地蔵尊
水子地蔵尊
曹洞宗の教え
曹洞宗の教え
正面に建つ石柱
正面に建つ石柱
正面に建つ石柱
正面に建つ石柱
八戸方面
寺から下の八戸方面

yahoo地図 延岡市から国道218号線を高千穂に向かう。八戸を過ぎ、暫らく行くと右手に案内板がたくさん出ているのですぐわかる(食堂の前)。そこを右折、山道を入ってゆくと道は二つに分かれるが、左に行かず、そのまま真っ直ぐ急な坂道を登って行く。この辺は結構ややこしいのですよ。30mくらい登ると突き当りを右折。追分地蔵から30m程行くと左側にあります。寺の裏・表両方とも入れます。

関連サイト

botan 藤江監物疑獄事件の真相

江戸時代中期の思想家で明治維新の先駆者であるが、各地を遊歴し多くの日記調の紀行文を残している。

botan 岩熊井堰

五ケ瀬川に完成した岩熊井堰の様子です。

■三田井48塁の跡
この地には天文十九年(1550)津隈越前守が城を築きましたが、間もなく落城し、その城跡に菩提寺として建てたのが現在の昌竜寺です。
■小野丸源満遭の墓
延岡藩の県道指南役、小野万右衛門の供養碑。本堂の裏手に高い宝篋印塔(ほうきょういんとう)、周囲に古色の墓石が建っている。
■参禅道場
この寺は、昭和50年に参禅道場として認可され、学生を中心に参禅者が多く、以前にはアメリカから留学生が来たこともある。

編集後記

三田井48塁の八戸城跡については、2説あるそうですが、この寺であれば小高い岡の上、目の前を高千穂往還が通り、なるほどと思えます。もっと見たかったのですが、犬がうるさくて駄目でした。山奥の寺社、不信の現代、仕方ないことかもしれませんね。

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