城山公園(延岡城跡)No2

案内柱
二階門櫓跡地の案内柱です。
二階門櫓跡地
二階門櫓跡地。
込み入った石垣
二階門櫓跡地付近の込み入った石垣。
千人殺しの石垣
千人殺しの石垣を上から覗いたもの。
案内柱
本丸跡地の案内柱です。
本丸跡
本丸跡の広場です。
小さな庭園
本丸広場横の小さな庭園。
二階門櫓跡
二階門櫓跡を上った所。
内藤公銅像
内藤公銅像。
天主台跡地
天主台跡地。西南の役で、官軍は合図のため、ここの建物を燃やしました。
鐘突き堂
天主台の鐘突き堂です。
天主台の鐘
天主台の鐘(二代目、初代は内藤記念館に保存されています)。
市街を望む
天主台より市街を望む。
天主台虎口の遺構
最近発見された天主台虎口の遺構です(説明は下記)。
三階櫓跡地
三階櫓跡地。ここに櫓がありました。
後藤勇吉の慰霊碑
空の先駆者、後藤勇吉の慰霊碑です。右側に説明あり。

関連サイト

botan 後藤勇吉

航空界の先駆者、後藤勇吉とは。

botan 延岡城炎上

航空界の先駆者、後藤勇吉とは。

鐘突き時間

鐘突き時間。日に六度欠かさず延岡の街に響き渡ります。

パノラマ写真

城山公園天主台からの市街地の眺望です。

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大瀬川対岸よりの城山です。反対側には五ヶ瀬川があります。

■延岡城天主台虎口(こぐち)跡

平成14年7月24日〜平成15年3月31日まで、江戸時代の絵図にもとづき天主台上り口の発掘調査を行いました。その結果絵図にあるとおりの登城口(虎口)が確認されました。虎口とは、曲輪(くるわ)への入り口のことです。岩を削った8段の階段跡が発見され、また階段の両側に石垣が築かれていました。さらに新たに絵図にない門の礎石跡が三ヶ所発見されました。

延岡市教育委員会

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■延岡城古地図

内藤家の古地図です。

延岡城

延岡城址は、藩主高橋元種によって慶長6〜8(1601〜1603)年にかけて築かれた。元種は松尾城を拠点としていたが、鉄砲の普及による戦法の変化に対応するために、五ヶ瀬川と大瀬川に囲まれた丘陵に県内最大の近世城郭を築いた。当時は縣城(亀井城)と呼ばれ、二つの河川を外堀とし、城内には内堀が造られた。城は天主台、本丸、二の丸、三の丸からなる本城(城山公園)と、藩主の居宅であった西の丸(内藤記念館・亀井神社)の2楼で構成され、門・櫓などが整備された。なかでも二の丸にそびえる高さ22m、総延長70mの石垣は(千人殺し)と呼ばれ、本城郭を代表する石垣となっている。また頂上は天主台といい、太鼓櫓があった。現在、北側の一角に鐘楼があり、1878(明治11)年以来、時を告げている。 築城のきっかけは、関が原の戦いで、味方した西軍が敗れたため、留守を預かっていた家臣たちが、篭城のため延岡城築城を計画したことにあった。

案内板より

五ヶ瀬分流

上の写真は上流にある五ヶ瀬分流公園(五ヶ瀬川と大瀬川の分流点)です。城が機能していた頃、左手にある大瀬川に堰堤を築き、右手の細い五ヶ瀬川に水を流し、堀の役割をさせていました。堰堤の維持には相当な苦労があったようです。その後も両川の水利権などで問題がありました。

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日清、日露 、世界大戦と打ち続く戦争で、犠牲になられた方の慰霊碑です。

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編集後記

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