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塩見城

塩見城地図

塩見城は、南北朝時代に土持氏が築いたと伝えられ、日知屋城、門川城と共に、日向三城と呼ばれた。その後、都於郡伊藤氏の支配下に入り、綾民部左衛門義恒(現姓細川氏)が居城した。又、伊藤一族の右松四郎左衛門が塩見地頭として入城したが、天正五年に伊藤氏が豊後へ敗走すると島津氏の持ち城となり、一門の吉利忠澄が城主として君臨した。その後豊臣秀吉の九州仕置きで延岡藩領となり、徳川幕府の一国一城令で廃城とされた。

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案内板
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塩見城入り口
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城山公園記念碑
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城山公園記念碑
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城山公園記念碑
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塩見城保護委員会
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慰霊碑
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記念塔かな
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墓石群
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天主入り口
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眼下に水月寺を望む
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塩見川の眺望
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塩見川の眺望
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市営墓地団地
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水月寺正面
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水月寺由来
   日向市内国道10号線、延岡市からは新生町交差点を右折国道327号線を東郷に向かうと、中山崎バス停を越えるとすぐ、市営城山墓地公園の案内標識があるのでそこを右折、左手の坂道を登ってゆくと水月寺がある。そこを200mほど過ぎたら塩見城の案内標識があるので、少々狭いが右手に登ってゆくと小さな駐車場がある。
写真にも有るが、塩見城の保護に乗り出された区長会の皆さんの卓見と実行力には頭が下がる。今回色々と史跡訪問を行っているが、ほとんどの史跡は荒れ放題、原野に帰ろうとしているか、または土地開発で無くなっている。数少ない地元の史跡の温存に今こそ行政の力を拝借したいものだ。
塩見城跡の曲輪群は、尾根上を複数にわたって段状に成形しているのが特徴で、それぞれの尾根の側面には幅1〜2m程度の帯曲輪と思われる段が確認されている。塩見城跡では現在のところ陶磁器片などの遺物が出土しているが、いずれも中山遺跡と同時期の16世紀後半に位置づけられるものである。(宮崎県埋蔵文化財資料)
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