祝吉(いわよし)御所跡島津家発祥の地

県指定史跡 祝吉(いわよし)御所跡:(宮崎県都城市郡元町3420)

御所跡地周辺には、今は住宅地が建て並んでいるが、当時は周囲一帯が広大な平野であった。今も残る田畑はその片鱗を物語っている。この肥沃な平野は、ここに島津家という強大な文化圏を形作っていったのだろう。

しかし、島津家移転に伴い、明治初期までここは入植者もなく荒れ地のままだったという。

跡地碑遠景
跡地碑遠景
跡地碑遠景
跡地碑遠景
御所跡碑
祝吉(いわよし)御所跡碑
30haの跡地
30haの跡地
島津家紋章

都城島津邸

都城島津家の屋敷跡。

薩摩迫館跡

島津「北郷家」の誕生の地。

島津家とは

島津家の歴史については鎌倉時代以前の事は解っていない。・・・ウィキペディア

ここは、島津氏の始祖忠久が鎌倉より下向して、御所(館)を構えた所と伝えられる。当地は、古代中世において「島津」と呼称され、全国有数の荘園として知られる島津御荘(みしょう)の中心であった。

島津忠久像

忠久は文治元年(1185)8月、源頼朝によって、領家の島津御荘下司職(げすしき)、ついで同荘八千丁の惣地頭職。薩摩、大隅、日向三か国の守護に任じられるなど、その勢力のほどがうかがわれる。忠久は、はじめ惟村姓を名乗ったが、地名をとって姓を「島津」と称した。 また当地の稲荷神社も彼の創建といわれ、島津家代々の崇敬の厚い神社であった。

島津氏は武門の名門であり、中世より近代まで日本の歴史上に大きな足跡を残している。その名字がここに由来するのである。

都城教育委員会

編集後記

しかし、島津家の発祥の地が都城とは知らなった。島津と言えば、薩摩、薩摩と言えば隼人族、島津家は元々は薩摩隼人では無かったのだね。 延喜式時代の島津駅の跡とされる馬頭観音の碑もあるらしいが、後で解った事で気付かなかった。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.
TOPへ