重岡キリシタン墓(ルイサの墓)

重岡キリシタン墓 :宇目町大字重岡字重岡

延岡より国道326号線を北上、「歌けんか大橋」を過ぎると間もなく、左手に運送会社がある。その前を右折して県道に入る。しばらく道ナリ、やがて川を渡ったあたり村落があり、左手に日向街道がある。そこを左折する(真っすぐ行くとすぐ左手に長昌寺)と、すぐ左側に消防支所があり赤いランプが目に付く、その前に小さな案内坂ある。杉林に覆われた小丘だ。遠くから見るとクスノキの大樹が見えるらしいが確認できなかった。その山道を登ると宇目型宝篋印塔と呼ばれる塔が二基あり、さらに進むキリシタン墓にたどり着く。お堂の中にむき出しの石棺、慣れていないせいか、一瞬異様な感じだ。しまった!、胸に十字を切る順番はどうだったけ?。

県道から日向街道へ
県道から日向街道へ、日向街道が多すぎて、もしかしたら県道も日向街道?ここを左折。
消防支所前
消防支所前
消防支所前の案内板
消防支所前の案内板
庚申塔群
居並ぶ庚申塔群
宇目型宝篋印塔
宇目型宝篋印塔(下が埋まっているみたい)
祠
石棺と説明板
石棺と説明板
石棺
石棺(同じもの)
石棺
石棺(同じもの)
H型十字章
H型十字章
四角の穴
四角の穴、解らないらしいが、もしかしたら空気穴?
帰りの山路
帰りの山路
長昌寺
直ぐ近くにある寺院で、西南戦争では官軍の宿営した場所です。

google street view(クリックして動かしてください)<入口付近>

■宇目型宝篋印塔・・・(宇目町有形文化財指定)

この宝篋印塔は小さいけれど素朴な中にも落ち着きがあり、独特の感じのする地方色豊かなものである。宇目町には数多くあるが、他の市町村では稀にしか見ることができない。俗に宇目型宝篋印塔と呼んでも過言ではない。

材質は凝灰岩で造られ、下から基礎、合座、塔身、蓋、双輪からなり、塔身に金剛界四仏の種子が陰刻されている。塔の形としてはごく小さく総高138cmしかない。

この塔の特色は、伏鉢と請花が一体化していることと、九輪は寸詰まりの中ぶくれであることである。また宝珠も請花と一体化し、笠の隅飾突起が簡略化されているところにある。

このように宝篋印塔本来の形から逸脱していることが特徴である。このように俗に宇目型と呼ばれる宝篋印塔は本町の至る所に散見され、その数は正確にはわかっていない。

宇目町教育委員会

■重岡キリシタン墓(県指定史跡)

この墓碑は凝灰岩の半型の伏墓で、長さ180cm、幅86cm、高さは輪部で27cm、両端は22cmという巨大なものである。上面の後部寄りにはH輪十字章(日輪の直径29cm)が刻まれ、正面輪郭中央部に「ルイサ」洗礼名を、その左右その左右に「元和五年」「五月廿二日」という没年月日が陰刻されている。日輪十字章の下に6cm×8cm程の短型の穴があるが、これは何のために作られたかわかっていない。

豊後には多数のキリシタン墓が残存しているが、この墓碑のように日輪十字章、洗礼名、没年月日の揃っているものは珍しいであろう。また大きさも県下では最大尾であり、長崎県下にあるキリシタン墓の多くをはるかにしのいでいる。

この「ルイサの墓」は大正初期、渡辺家の当主が杉の植林をしていて偶然地中深く埋まっていたこの墓碑を発見した。しかし彼は今まで見たこともないこの異様な形をした墓碑に驚き、祟りを恐れて土で覆ってしまった。 それから四十数年を過ぎた頃、時の当主は父とともに植林をしていた子供のころの記憶をたどり、あれはキリシタンの墓ではなかろうかと思いながら再び発掘し、世の注目を浴びるに至った。

この墓碑はもともと地上にあったが、幕府のキリシタン禁教令布告後、弾圧が強化され迫害がはげしくなったので、一族の者がキリシタンであることが発覚するのを恐れて地中深く埋めたものであろう。

「岡」といえば天正年間にキリシタンの志賀親次が領主であり同宗門が栄えたところで、天正16年(1588)頃志賀氏の領内にはおよそ8000人のキリシタンがいたとある。(耶蘇会日本年報)こうした状況からこの宇目郷にも志賀氏の出城である皿内砦、悪所内砦などがあり、その関連性が深いことも事実であろう。また宇目郷には親次」の祖父親守が居住しており、同じく岡藩屈していたから、この宇目郷にキリシタンがいてもふしぎでなかろう。

これから推測すると、志賀氏滅亡の後、文禄3年(1594)竹田に入部した中川秀成も、当初はキリスト教を保護し、慶長17年当時、岡にはまだ」伝道所があったほどである。ルイザはこうした竹田の地で天正18年頃生まれたと思われるが、その少女時代はキリスト教の華やかな時代であった。この娘が宇目郷割元元役に嫁いで来たことは大いに有りうることであり、夫の享年から推測すると、元和5年に没した「るいさ」を岡藩士渡辺興吉郎の娘と断定しても矛盾しないであろう。

豊後には「ルイザ」の洗礼名を持った婦人は他にも居たかも知れないので、この短い記録から彼女が墓碑の「るいさと」同一人と断定するわけではないが、洗礼名を同じくするほか、年代的にも合致するし、当時の諸事情も渡辺興吉郎の娘と矛盾しないので」注目に値しよう。 いづれにしても注目に値するが、今後の研究に期待するところが大きい。

宇目町教育委員会

編集後記

初めての私はここを探すのに苦労しましたが、すれ違う人は皆親切で、丁寧に教えていただきました。しかし、この墓を初めて見たとき、豪華さも重厚さもありませんが、何か聖母マリアのように、清潔で不思議な高貴さを感じました。皆さんも一度訪れてみてはどうですか?。しばらくはキリシタン墓に凝りそうです。

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