薩摩迫館跡(島津家城館)

薩摩迫館跡 :(宮崎県都城市山田町中霧島1558-1)

薩摩迫館(さつまざこやかた)跡 :(宮崎県都城市山田町中霧島1558-1)

川沿いの細い道を行くと、やがて右側山間部に薩摩迫館跡の看板に行き着く。まず目に付くのが駐車場の観光案内と、「大手口跡」の案内柱だ。そこから石段を登ってゆくと、実に変わった物がある。「田の神」と「馬頭観音」だ。まさか中世の全盛期からそこにあったものでもなかろうから、後で建てたものだろう。そこは行き止まりに近かったので、また車道に戻り、少し上に行くと右側に「薩摩迫館跡入口」の案内柱があったので、道路端に車を止め、細長い道を入ってゆくと、昔の館の跡であろう。何段かの広い敷地にたどり着いた。今はクヌギなどの雑木林であるが、きれいに整理されている。

大手口跡の案内柱
大手口跡の案内柱
階段
コンクリートの階段
田の神様
田の神様
馬頭観音
馬頭観音
薩摩迫館跡入口
薩摩迫館跡入口の案内柱、ここが今の正門かな?
雑木林
雑木林
雑木林
雑木林
下より望む
帰りに下より望む
薩摩迫館 ■薩摩迫館跡(さつまざこやかた)

薩摩迫館跡は、島津本家4代忠宗(ただむね)の6男・資忠(すけただ)が文和元年(1352)の合戦での功により足利尊氏から北郷(ほんごう)300町(現在の都城西部地域)を与えられ、館を構えたとされているところです。資忠はその地名から「北郷」と名乗るようになり。ここから都城島津氏のルーツである北郷氏の歴史が始まりました。

上の旧蹟図は寛政10年(1798)に作成されたものです。上段に領主と重臣のの屋敷地が、下段に家臣の屋敷地があったとされています。これまでの発掘調査で中国製磁器などが出土しています。

案内板より
薩摩迫館 薩摩迫館

昔の想像図です

当時はこのように小さな山砦だったのでしょう。

編集後記

初めての都城市、まったく地理も解らず、苦労しました。ここも島津家の発祥の地かと勘違いしてしまいました。

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