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千人間府

千人間府地図 ココ

木浦山千人間府:(大分県宇目町大字木浦鉱山字大切)

千人間府とは、木浦鉱山の大切坑のことで、木浦山で一番規模が大きく産出量の多い鉱山でした。木浦鉱山の村落から少し登った大切峠手前に残る坑道です。最盛期には、毎日二千人の坑夫が入坑して『千人間府』とよばれるようになりました。銀・錫の産出はとくに素晴らしく、大切銀坑は佐渡、但馬、石見と並び、わが国の四大銀山の一つとして栄えました。当時は、現在よりも広い地域に町並みが発達していたと考えられ、『代官屋敷』や『馬方宿』の跡、それに長門町、金具町といった小字名が残ったいます。 木浦鉱山が閉山したのは昭和32年頃ですが、今も希少鉱物のエメリーの採掘は続いています。

宇目町誌

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千人間府入り口の案内板

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広い駐車場

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カッコウが鳴く山道

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千人間府はこの上

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この階段を登る

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千人間府、大切坑口

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チョッとだけ内部、ここを一人で入れますか?

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寸断されそうな道路

拡大 駐車場からは石ころだらけの道を300m程、銀でもないかと探しながら、冗談です。「カッコウはカッコウと鳴くからカッコウなのだろう」と今さら感じ入って、急斜面に開けた山道を7.8分、以前何かで「千人間府」という由来は、以前落盤事故で千人近い人が死んだから名付けられたという、嘘か本当か解らないけど、気味の悪い話を思い出しながら、大切坑口に着きました。階段を登ると大切坑が大きな口を開けています。梅雨時という季節のためでしょうか。坑口からは大量の水が流れ出ていました。中は落盤で危険なため、鉄格子で遮断してあるそうですが、今の時期長靴でも無い限り入っては行けません。いえ、有ったとしても一人ではチョッと無理ですね。そのような雰囲気です。周囲は坑口と階段だけは残っていますが、他の施設などは山の中に跡形も無く消えています。


編集後記

ここの歴史は、説が多すぎて、矛盾だらけで、よそ者にはよく解りません。江戸時代は最盛期だったとか。細々と家内工業的だったとか。辻褄が合わないのです。この坑口から下の村落まではかなりの距離ですが、鉱夫達は、そこを毎日通っていたのでしょうか。鉱夫住宅はもっと上にあったのでは。女郎墓にしても峠の稜線近くで、身分制度の厳しい時代に、女郎の死体を誰が峠の上まで運んだのでしょう。謎に満ちた木浦鉱山でした。
 

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行きかた 木浦鉱山の村落の名水館を過ぎてすぐ、左側に大切峠への道があります(藤河内渓谷の表示はあったかな?)そこを左折。左手にエメリーの会社を見ながら、山道を登って行きます。舗装道ですが白い骨みたいな石ころがあちこちに散らばっています。これがエメリーかな?、鉱物音痴の私にはサッパリわかりません。坂道をおよそ20分、右側に広場があり、木浦山千人間府の案内板が立っています。そこに車を止め、後は徒歩です。
周辺見所

botan 木浦鉱山

botan 女郎の墓

botan 連光寺湧水

botan 見立鉱山(英国館)

パノラマ写真

カメラ 千人間府のパノラマ