三ヶ所神社

三ヶ所(さんがしょ)神社:(西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所宮の原)

この神社の創建年代は明らかではないが、同じ頃建てられた押方の二上神社の創建が昌泰元年(898)であることから同一年代と推定される。古くは二上神社又は二神大明神といい、高千穂八十八社の一つで、祭神はイザナミノミコト、イザナミノミコトで、高千穂郷民の尊崇を集めた神社である。神社の境内には樹齢数百年に及ぶ杉の大木がところ狭しとそびえている。

現在の社殿は、文化14(1817)年2月に当時の延岡藩主内藤政順により着工され、同年12月上棟し、翌文政元(1818)年に落成したものである。用材は総ケヤキ材で木造流造りであり、九州では珍しく社殿全体が無数の彫刻に彩られているが、。その中でも廊下の下部柱の桁梁部分の枡組は非常に巧みで美しく建築学者の驚嘆するところである。さらにあちこちに配されている熊、唐獅子、鳥類などの彫刻も彩を添えている。このことから五ヶ瀬町教育委員会はこの社殿を町文化財建造物一号に指定した。

三ヶ所神社の祭礼は、昔から6月29日に神楽、9月29日に大祭神楽、翌30日に荒踊り(坂本踊り)及び氏子中の祭礼が行われる。現在秋祭りは9月29日一日で全部の行事を終わっている。

鳥居
一の鳥居、二の鳥居
手水舎
手水舎
拝殿
拝殿
旧本殿
旧本殿
案内板
案内板
本殿脇
本殿脇
本殿の彫刻
本殿の彫刻
本殿の彫刻
本殿の彫刻
本殿の彫刻
本殿の彫刻
御神木
御神木
シャクナゲ
シャクナゲ
願かけ石
願かけ石、一つだけ願をかなえる

五ヶ瀬町から503号線を諸塚方面に向かう。しばらく行くと左側にある。隣は浄専寺、両方とも枝垂桜で有名である。三か所神社の裏手は広大な裏庭があり、シャクナゲ、椿、桜、種々の竹などが植えられている。

◆三ケ所神社奥宮

二上山の登山道の途中、懸崖の上にあります。

◆三ケ所神社彫刻

本殿のすばらしい彫刻群と建築様式です。

荒おどり

荒おどりは、三ヶ所坂本地区に伝わる踊りで、この神社の秋季大祭は9月29日でその時奉納されるのが、国の無形文化財に指定されている勇壮な踊りで知られる荒踊りである。いまから400年ほど前、天正(1573〜1592)年間に炎王山専光寺の17代前の開基、坂本城主坂本伊賀守正行が始めたものと伝えられる。 戦国時代の武者装束をつけた人々が、行列をなして踊る勇壮な祭りと、円陣を組んで優雅に踊る静かな踊りがある。火縄銃の発射とと共に踊りが進行してゆく様は見もものである。

東方朔

東方朔(とうほうさく)

東方朔は前漢の人で実在の人物、「列仙全伝」によれば、態度は傲慢、不遜で評判は良くなく、一面諸子百家に通じた博学多識でユーモアの中に鋭い風刺を込めて人々を説得したという。仙人であった彼は崑崙山(こんろんざん)に住む美女仙人西王母(せいおうぼ)の庭に三千年に一度実る桃を三個も盗んで食べたので、 仙術に長じ、八百年生きたという。当社の彫刻は、髪を伸ばした老人で、頭巾を被り手に桃を持って佇んでいる。この桃はいうまでもなく西王母の庭に実った桃です。

王子喬

王子喬(おうしきょう)

王子喬は周の霊王の太子で名を晋という頃から笙(しょう)(楽器)を好みまた堪能であった、王に接忠刻して皇族から庶任の位に落とされた。浮丘公(ふきゅうこう)という仙人に従って嵩山(すうざん)に登り仙術を学んだ。30年ほど経て白鶴に乗って故郷を訪れたと伝えられる。当社のものは鶴に乗って書を読む姿の人物が彫られている。

張果老

張果老(脇社南側胴羽目)

別名「痛玄先生」ともいい「瓢箪からこま」の逸話で一般的に思いもかけない事が起こるという、中国の「列仙全伝」によれば彼は」白い驢馬に乗って一日数万里を歩き休息するときは「ろば」を折りたたんで箱に入れ、また乗るときは水を口に含んで吹きかけ、又元の白い「ろば」になったという。ここが後に箱が「ひょうたん」に「ろば」が馬に変わり「ひょうたん」から「馬」が飛び出す図面になったといわれ、当社の彫刻は線描の絵画を思わせる彫刻です。

脇社

脇社

脇社のある神社は九州でも七社だけだと言われています。花堂、夏堂といわれており、花や水をお供えするための閼伽棚の役割を果たしていたと推定されています。正面を除く三面の羽目板に張果老、王子喬、東方朔 三人の仙人の線彫の彫刻が施されています。脇社の神が力を振って本殿を守護し、主祭神の御神威を守ったと思われます。

編集後記

この神社の彫刻は実に素晴らしい。裏山も多くの花木が植えられ公園化している。隣の浄専寺と同様枝垂桜が有名である。

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