坂宮井堰

坂宮井堰の地図

坂宮井堰:(延岡市坂宮)

坂宮井堰は延岡市三輪町の、あの有名な岩熊井堰よりも古く、その約20年前、元禄・宝永年間(1690〜1710)と推定されている。つまり延岡城主が有馬氏であった頃に着工されたと見られ、当時の長友庄屋は開田の功で川内名村(北川町)庄屋に栄転″したという。しかし、相当な難工事だったらしく、工事の延引と、労役の負担に負けて、家を捨て夜逃げしたものもあったと伝えられる。水路は岸壁の下を掘り抜かれており、岩を割ったノミやクワの跡が残っている。未だダイナマイトの無い時代、岩壁に穴を空けるのは、大変な作業で、すでに宮水用水路でも紹介したとおり、「火ぐり法」という工法を取っていた。「午前十時頃と夕暮れ前には土がゆるむといわれ、この時に岩を火で焼いて、水をかけた後、堀砕くという工法である。今もところどころで往時の苦労を偲ぶことができる。

引用:民族探訪ふるさと365日(秋山榮雄著)

工業港入り口
坂宮井堰下流より
工業港入り口
青い部分が取水口
工業港入り口
取水口
工業港入り口
上流より井堰によって出来たダムを望む
工業港入り口
井堰の押さえの部分、当時のままかな
工業港入り口
最初のトンネルを抜けた地点
工業港入り口
坂宮の村落の中を通る。家の前は清らかな用水路、いいなあ!
工業港入り口
最初の排水口、余った水は祝子川に落ちる
工業港入り口
左手の突出した部分が問題の岩山
工業港入り口
岩をくり貫いた水路、壁は後で再工事したのだろう
工業港入り口
水路の上はコンクリートがかぶさっている
工業港入り口
当時のままの岩肌、どれがノミの跡かな
工業港入り口
岩山を抜けるために、道路の下のトンネルに入る
工業港入り口
大塩平八郎の娘の眠る千光寺の前で、姿を現わす
工業港入り口
広大な平野の中を流れる
工業港入り口
分岐に分岐を重ねて、蛇谷川への一つの出口

行きかた 延岡市駅からいうと、祝子川沿いの旭化成を過ぎ、小山橋を渡って左折、川沿いに上流へ上って行くと、千光寺が右手に有り、過ぎてすぐ左手の、祝子川との間の小丘が問題の岩山、三叉路を真っ直ぐ行って、坂宮の村落、やがて左手に最近出来た真新しい焼酎工場が見えてきます。その前の祝子川に坂宮井堰はあります。

責任者だけでなく苦労した農民たちの供養碑も建つ

県北地方の井堰・用水路の取り入れ口付近には、庄屋や工事責任者などの顕彰碑が建てられているが、実際に血の出るような苦しい労働をして、イモを食べながら働いた農民たちのことは功労者の影に隠されてしまっている。しかし坂宮井堰の場合、下祝子土地改良区では、建設に努力した祖先の霊の供養碑が、長友庄屋の墓と共に並べて建てられている。「庄屋さんも偉かったが、われわれの祖先も努力したんだ」そういう気持ちが溢れているようであった。
同用水路によって出来た祝子町、尾崎町、夏田町、一帯のことを新田(しんた)と呼ぶ。

引用:民族探訪ふるさと365日(秋山榮雄著)

関連サイト

botan 岩熊井堰とは

この井堰が出来て20年後の……。何で有名なのか。

botan 七折用水路

時代は違えど工法は、ほぼ同じです。こちらも数キロに及ぶトンネル工事など大変な工事でした。

記念碑

これは記念碑ですね。慰霊碑はどこか解りませんでした。

編集後記

「歴史はたえず脚下にあり」つい気取って、このようなことを考えてみました。考えてみれば、今の自分の家の庭でさえ、かって土持氏の松尾城攻防の際は、戦場となった場所かも知れないのです。それはともかく、このあたりは、私がいつも愛犬?「大」を連れて散歩に行っている場所です。岩山に水路が掘削してあることは知っていましたが、坂宮井堰の通水路とは知りませんでした。歴史が古いのですね。

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