西郷隆盛露営の地(地蔵谷)

西郷隆盛露営の地の地図

西郷隆盛露営の地(和久塚の地蔵谷):(延岡市祝子町地蔵谷)

和田越えの戦いで敗れた西郷隆盛は、明治10年8月17日夜10時、俵野の児玉家を出て、可愛岳突破という思い切った作戦で、官軍の包囲網を突破した。その日は浜砂(はまご)で政府軍と交戦、地蔵谷の林中に入り野営した。

最近有志の手によって、県道延岡岩戸線の道端に案内碑が建てられた。ここが地蔵谷なのだろうか。大きな岩がゴロゴロした沢に、潅木がそれらを支えるように生えている。ここを4km程登ったところに露営したらしい。

西郷軍は山の尾根を一直線に逃走したと思っていたら、祝子川沿いにもしばしば現れ戦闘を繰り返している。攻撃された官軍の宿営地は全て川沿いということを思えば、少なくとも村は川沿いにあったのであろう。

参考:現場案内板

地蔵谷案内板
西南の役、西郷隆盛露営の地、地蔵谷案内板
まっすぐ行くと上祝子
左側は祝子川。まっすぐ行くと上祝子。
右手が地蔵谷
右手が地蔵谷
岩だらけの地蔵谷
岩だらけの地蔵谷、この上流4kmに露営した

行きかた ここだけは、何処にあると言われても目標が無いから非常に困ります。延岡市街から祝子川沿いに、県道207号線(延岡〜岩戸線)を遡る。祝子川ダムに至る下辺り、右側にありますが、カーブをしてすぐの所に案内板がありますので、見過ごします。

■案内板詳細

拡大

西郷隆盛は明治10年8月17日夜10時、俵野の児玉家を出て、可愛岳を突破し、故郷鹿児島に向かった翌18日夜はこの谷の上流(この地点より約4km)に露営し一夜を明かした。

周辺見所

  モウソウキンメイ竹林

  西郷隆盛宿営の地(小野熊治宅)

  県道延岡〜岩戸線(編集中)

関連サイト

botan 西南の役

今も多く残る西南の役の史跡です。

botan 可愛岳登山

登った季節は秋の終わり、盛夏と違って虫はおりません。しかし彼らの通った南ルート、私にとっては大変な道でした。

■西郷軍行程

可愛岳突破から五ヶ瀬町までの、西郷軍の行程です
8月18日  可愛岳突破
8月19日  祝子川へ出て小野熊治宅宿陣
8月20日  鹿川越、鹿川峠、湾洞川越へ
8月21日  岩戸から三田井へ突入
8月22日  五ヶ瀬町・坂本
編集後記

また新たな課題が出来ました。祝子川の旧道は何処を通っていたのでしょうか。現在の村々の連なる県道は、岩山を削って造った道ですから、明治10年頃の土木技術で出来たとはとても思えません。しかし村が点在していたとしたら、それを繋ぐ旧道があったはずです。何時も何気なく通る道ですが、ここにも歴史がありました。

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