西郷隆盛退軍の道(飯干峠)

西郷隆盛退軍の道の地図

照葉(てるは)大吊橋 :(宮崎県東諸県郡綾町南俣大口5691−1)

明治10年8月15日、延岡・和田越最後の決戦に敗れた薩軍は、北川町の俵野の一帯に退き、ほとんどの隊が降伏したが、その一部の精鋭約600余名は、前・中・後軍の三隊に別れ、夜陰に乗じて可愛岳の峻険を突破し、官軍の包囲網を破って脱出した。

19日の上祝子(北川町)、21日三田井(高千穂町)以下三ヶ所(さんがしょ:五ヶ瀬町)飯干峠(いいぼしとうげ)、七つ山を経て、23日には松の平(諸塚村)に着き、当夜西郷は藤本槌三郎宅に一泊、翌早朝、恵後の崎より孟宗竹の筏で本村に入り、山三ヶ村で区長に命じて、人夫を徴して荷物を持たせ、山神峠(さんじんとうげ)から神門(南郷)に向かった。この隊には西郷はじめ桐野・村田・池上等薩軍首脳のほとんどが加わっている。

西郷村史

飯干峠
飯干峠、海抜1,037m、これより五ヶ瀬町。
峠の駐車場
峠の駐車場、五ヶ瀬町方面
西郷隆盛退軍の碑
西郷隆盛退軍の碑もある峠。
峠の駐車場
峠の駐車場、諸塚方面。手振れですが、これ一枚しかありません。

行きかた 諸塚村から国道503号線を五ヶ瀬町に向かう。つづら折れの坂道が多いが、走りにくいということも無い。川沿いの道で自然は一杯であるが、一人では退屈する。

西郷隆盛退軍の碑

今回は諸塚から五ヶ瀬方面に行った。七つ山のやはり西郷隆盛宿陣の地に行きたかったのだが、地元の方に不幸があったみたいで、車が一杯で村に入ることが出来なかった(ご冥福を)。そこで村境の飯干峠に向かったが、私の愛する?多目的車は最近ミッションが磨り減ったらしく、音だけ勇ましく、なかなか坂道を登ってくれない。それでも何とか飯干峠へ到着できた。海抜1,037m、そんなに登ったのだろうか。私がいつも苦労して登る近所の山は、せいぜい700mぐらいなのに、やはり車だなあ。今回は、ここから少し引き返して六峰街道に抜ける。

浅学菲才

編集後記

考えてみたら55年程前、母から手を引かれて母の実家に行くときも、半日かけて、やはり山道を歩いて行きました。私が5歳ぐらいの時です。西郷軍は盛夏猛暑の中、この山岳地帯をいったいどうやって行軍したのかと思いますが、移動は歩くのが当然の時代、当人達にとってたいした事ではなかったのかもしれません。そういえば、最近は山中にチョッと入るだけでダニなどにやられますが、私の小さい時は半ズボンで山中を駆け回ってチャンバラごっこ等をしても、ダニなんて見たことも無かったですね。自然環境の変化か、あるいは食べるもやっとの時代、私の血液が美味しくなかったのか……。(今は枯れ木でもっと美味しくありませんが)。

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