去川の関跡

去川の関跡の地図

去川(さるかわ)の関跡:(宮崎市高岡町去川)

去川小学校の校門近くの道下に、「去川の関址 宮崎県」の標柱がある。永禄年間(1558〜1570)伊勢国の佐々木義秀の家臣であった伊勢二見ヶ浦の城主二見石見守久信は、織田信長に攻められ、薩摩の蒲生郷に逃れました。天正年間の中ごろ(1582年ごろ)島津氏の勢いは大変強く、十六代島津義久は近隣諸国をことごとく討ち従えていました。義久は国境の防備を固めるため、関所を去川に設け、御定番に二見石見守久信を命じました。以来、二見家は明治初年まで十一代に渡って御定番を勤めました。

去川関所は高岡、綾、倉岡そして支藩佐土原に通じる薩摩街道の大事な地点にあり、大変きびしい取調べが行われた所と言われています。当時は現在の去川小学校の門前に渡船場がありました。今ではその遺跡として門柱の礎石が残っているだけです。

引用:宮崎の街道(宮崎県教職員互助会)

工業港入り口
案内板と礎石
工業港入り口
礎石
工業港入り口
石碑
工業港入り口
増水していますが、関所前の渡しの場所です
工業港入り口
国道10号線の案内
工業港入り口
関所見取り図
工業港入り口
道路案内
工業港入り口
関所の構図。今と階段は逆ですね

行きかた 国道10号線を宮崎から都城方面に向かいます。268号線との分かれ道が迷いやすいので気をつけてください。後は自然と去川の関所前に行きます。大きな案内板が国道上にせり出して設置してあるので、見過ごすことはありません。

周辺見所

botan 二見家屋敷

botan 去川の大イチョウ

botan 二見家墓地

関連サイト

botan 薩摩街道

私は時間が無くて出来ませんでしたが、薩摩街道を実際に登った人のサイトです。

薩摩去川に関所がなくば拉(つれ)て行こうものを身どもが国に(薩摩民謡)

九州遊歴の途中、高山彦九郎もこの関所で阻止されました。対岸から大声で呼んでも罰せられましたし、犬さえも関所手形が要るほど厳重を極めたといいます。

この去川の関外に薩摩領の高岡・穆佐・綾・倉岡があったわけで、薩摩藩では関外四箇所と呼んだ。

編集後記

今はかっての厳しかった関所の跡は、ほとんど残っていませんが、地形的に見て、山間の谷間を、ここから上る薩摩街道。交通の要所であったことは間違いありません。しかしもう少し関所の跡を整備して欲しいですね。行ってみたら礎石が一個、なんか物足りなさを感じました。何処かに井戸の跡のような穴はありませんか(冗談です)。墓石がありましたが、誰の墓石でしょう。説明書きがあれば、史跡になります。

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