西郷隆盛・須木宿営の跡

西郷隆盛須木宿営の跡の地図

西郷隆盛宿陣の跡(須木:川添源左衛門方):(宮崎県小林市須木夏木中藪)

明治10年(1877)二月に西南戦争が勃発した。熊本方面での戦いに敗れた西郷軍は、次第に後退を余儀なくされ、ついには肥後から日向へと追い詰められた。県北和田越えでの最後の決戦に敗れた西郷は、手兵約300人を率いて、可愛岳を突破し、一路故山の鹿児島を目指して敗走する身となった。

三田井、神門、村所と九州山地を南下した西郷とその一隊は、8月27日午後、下槻木を経て、本村屋敷に達した。それより更に川沿いに下って、同日夕刻、夏木の中藪にいたり、ここ川添源左衛門方とその周辺一帯に宿営した。家人の後日談によると、一丁の籠がついて中から出た西郷は、すぐに奥の六畳の間に入った。それから翌朝出発するまで、誰一人その姿を見たものはなかったという。翌28日、西郷の一隊は九瀬から小妻木を経て小林へと向かった。9月1日鹿児島にたどり着いた西郷軍は城山にたてこもった。同月24日早朝、官軍の総攻撃が開始され、城山は陥落した。ここに西郷隆盛は51年の生涯を終わったのである。

引用:須木教育委員会

宿営の跡碑
西郷隆盛宿営の跡碑
記念
この碑は昭和43年、明治百年を記念して建てられました
宿営跡
小さな公園になっている宿営跡と、前の道路
昔の碑
公園裏の古道に残る昔の碑

行きかた 小林から国道265号線を須木に向かい、そこから左折して県道143号線に入ります。しばらく走ります、右手に「夏木入り口」とありますが、そこは関係ありません(ここで私は間違って村の中に入って探しました)。そこを過ぎてまもなく橋を渡ったところに、左に行く大きな道があります。真っ直ぐは「八本杉」と書いてあります。夏木の交差点です。そこを左折。500mほど行くと左手に小さな公園があり、石碑が見えます。

周辺見所

botan ままこの滝

関連サイト

botan 西南の役

西南の役の足跡です。最初の頃の作成ですので汚いですが、今も汚い。

botan 西郷役余話

西南戦争についてよくまとめてあります。

須木に宿陣した西郷隆盛

同年8月15日県北長井村の和田越え一帯で大敗してからは、九州山地の真っ只中を敗走し、須木にたどり着いたのは同年8月27日の夜半でした。この日西郷軍は西米良村の村所を発し、熊本県の下槻木に出て、山越えで須木の堂屋敷に、約300人の軍勢で降りてきて、夏木に宿陣しました。翌日、西郷軍は九瀬越えと軍谷越えの二隊に分かれて小林に落ちていきます。

西郷本人は上九瀬から九瀬峠を越えて、小妻木に出て、東方から小林の町に入って、時仁家に泊まりました。和田越えで大敗してから12日目、可愛岳・祝子川・五ヶ瀬・西米良と、道無き道をかき分けながらの、大変な敗走路だったでしょう。しかし、その影では現地徴兵された農民達の無駄な死もあったことは忘れてはなりません。

編集後記

西南戦争の西郷宿陣の跡はここにもありました。私はあまり西郷隆盛のことは知りませんでしたが、宮崎に来てその史跡の多さに驚いています。130年前といえば、遠い昔ではありません。この狭小な川縁の台地に、300人もが宿営したのですね。彼らはそれから一ヶ月もしない間に死ぬことになるのです。西南戦争の是非はさておき、官軍待ち受ける故郷に、死を覚悟で帰ってゆく彼らの胸中に、去来するものはいったい何だったのでしょう。おそらく家族のことだったでしょう。死ぬ前に一度会いたいという、悲痛な叫びが聞こえるような気がします。ここに至るまでにもっと早く止めるべきだったのでは?。それが何時も私が思う西南戦争です。

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