陸地峠(西南の役)

陸地峠(かちじ) :(大分県直川村仁田原字本谷)

国道10号線から県道43号線を北浦方面へ、途中「松葉吐」の三叉路を左へ、下塚川沿いに道を上がってゆく。秋めく紅葉の中に山村が点在している。 庚申塔 路傍の石仏などを眺めながら凡そ15km、やっと陸地峠に到着した。左の階段を登ると、シダやカヤや雑木などが道を阻む。獣防止用の電気柵の横を通りながら、最近話題になっている本ダニの事を思い出し、思わず足元に注意がゆく。峠から50mというが、非常に遠く感じた。(これから行く人のために:「山の頂上に必ずあります」。あれ!何処かで聞いた言葉だ。

西南の役の案内板
途中にある西南の役の案内板
薩軍の水飲み場
峠より200m程下にある薩軍の水飲み場、このおかげで3ヶ月程持ちこたえたという。今は枯渇して水気は無い。
下の渓谷
水飲み場下の渓谷、当時は小川があったのかな?
シイの巨木
峠下にあるシイの巨木。当時を見たのかな?
陸地峠戦跡碑
陸地峠戦跡碑
峠の三叉路
峠の三叉路
登り口の階段
登り口の階段
狭い山道
狭い山道
陸地峠延命地蔵
陸地峠延命地蔵
西南戦争陸地記念碑
西南戦争陸地記念碑
藪道
もう一度撮影した藪道
峠より南側を見る
峠より南側を見る
西南戦争
西郷隆盛と西南戦争の足跡です。
陸地古戦場を過ぎる
陸地の山渓に蔓草繁る
西南の戦跡 既に痕無し
碑文僅かに示す干戈の地
独り空壕に佇み士魂弔う
(口語体に訳す)
              麻生穂道
工業港入り口 工業港入り口 峠から左に直川方面に下りて行った時の山の写真である。この道は途中松の大木が倒れて行けない。工事もストップしているようだ。
工業港入り口 左の写真は車の下に入り込み、はずすのに苦労した根っこである。
工業港入り口また峠に引き返し、右側の海の方に行った。新道がかなりできているが、途中からダート道でどうも行けそうもない。また引き返したが途中から下に下り直川ダムに抜けることができた。(道路標識がない場合、貴方だったらどちらへ行きますか?)私がとやかく言う権利もないが、入口に通行止めの標識ぐらい欲しかった。どこも人手不足なんだなあ!。
■陸地峠古戦場

大分県境にある陸地峠は1877(明治10)年の西南戦争における激戦地である。

3月に行われた、熊本田原坂の戦いに敗れた薩軍は、軍の再編成を行った。大きく編成された一つは、人吉から日向へ向かうものであり、また一つは竹田から豊後へ入るものである。豊後口突破にかける薩軍は、北川町熊田に奇兵本営を置き、一時期は竹田・臼杵を占領するなどして」激しい戦闘が続いていた。

薩軍にとって、陸地峠、守口台場は北浦町歌糸・古江を結ぶ物資補給路の要衝であった。陸地峠は水場に恵まれ、薩軍は官軍に比べて少数であったが、約3か月にわたり、この地を保っていた。

1877(明治10)年7月15日から降り出した雨は、16日夜半になってますます激しくなった。官軍は陸地峠の正面と天狗嶺の累下を迂回、峠の背面に出た。薩軍は連日連戦の疲れが出たのか、独りの哨兵もp立たず眠り入っていた。午前4時、銃剣を着けた、銃剣を着けた官兵は「起きろ」と大声で怒鳴ると同時に壕の中に飛び込み刺殺した。一瞬の出来事であった。乱闘の間もなく陸地峠は落ちたのである

延岡市教育委員会

編集後記

明治と言えばさほど遠い過去ではないが、当時の人はいったいどのような感覚をしていたのだろう。私なんか山道を僅か50m歩いただけで、もうコリゴリなのに、こんな遠い山奥まで歩いてくるとは、いやはや・・。

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