鏡山の戦い(西南の役)

鏡山の戦い :(熊本県上益城郡山都町馬見原)

熊本県の山都町と宮崎県の五ヶ瀬町の境界に位置する鏡山。今は数多くの無線アンテナが林立しているが、かって西南戦争では官軍と薩軍が攻防をくりひろげた激戦地跡でもある。 国道218号線を熊本方面に向かうと左手に案内板がある。過疎で廃校になったのであろう。学校跡横を過ぎ、三叉路を右へ、道はいよいよ厳しくなる。無線塔管理用の道なのだろう。運転が苦手な人にはお勧めではない悪路が続く。何とか山頂近く、西南戦争慰霊碑のある広場にたどり着いた。 鏡山の戦いで戦死した官薩両軍の氏名が刻印されている。

バス停
218号線入口のバス停
案内板
登山入口の案内板
三叉路
三叉路(ここを右へ)
林道鏡山線
林道鏡山線入口
馬見原小学校跡
 途中にあった馬見原小学校跡の石碑
稜線の広場
稜線の広場
稜線よりの展望
稜線よりの展望
放送局のアンテナ
放送局のアンテナ
慰霊碑の周囲
慰霊碑の周囲の様子
慰霊碑
慰霊碑
詩が刻印されている
詩が刻印されている
◆馬見原
鏡山の戦いで官軍の司令部がありました。
◆西南の役
各地の西南戦争跡です。
もののふの
 弥猛心の
  かがみ山
  勝てば官軍
 敗れなば賊

さて、熊本から敗走した薩軍は、人吉に本営、江代に出張本営を設置し、一軍を豊後口へ展開させた。4月28日に薩軍が三田井(宮崎県高千穂町)に到着すると、すでに官軍が鏡山、境松(山都町)、鞍岡(宮崎県)に陣を築いていた。馬見原は熊本?日向をつなぐ要地であることから、両軍にとって馬見原を押さえることは軍略上重要なことであった。三田井・宮の原(宮崎県)に展開していた薩軍諸隊は、宮の原で合流、5月15日、馬見原を目指して進軍を開始した。

午前4時ごろ、薩軍は、深い朝霧にまぎれて境松から襲撃し、政府軍が鏡山に築いていた防御線を突破、鏡山を確保するとともに、敗走する政府軍を追走し、萩原口に進出した。これに対して政府軍は、馬見原から80mほどのところにある小坂峠に兵を進め、薩軍を迎撃すると同時に、鏡山の薩軍陣地への突入を敢行し、これを占拠、ついに薩軍は宮の原への退却を余儀なくされた。

熊本県HPより

編集後記

史跡とは何ぞや?訪ねる理由も興味もない、そのような人たちにとってこの山は何の意味もないだろう。だけどこの地において白刃をちらし、攻防した時代があったのだ。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.
TOPへ