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龍仙寺

龍仙寺地図

龍仙寺は真言宗醍醐派、開山開祖は谷山覚右衛門。 縣の領主土持氏の兵法指南として招かれた谷山覚右衛門は、大和の出身、武術にも優れ、修験道に通じていた。天正六年(1578)の春、土持氏が大友宗麟によって滅亡した後、元和二年(1616)になって、大貫の丸山ふもとに修験道場.明実院を開き、本尊に十一面観世音菩薩を迎え、不動明王や茶枳尼天(だきにてん・稲荷)鎌持大黒天を合祭、祈祷布教にあたった。川辺、大貫地方を寺領、知行地に受け、歴代藩主の祈祷所として法灯を守った。天保十年(1839)に寺領を藩主内藤氏に返上し、西階城の東側・野田山(西階城の東の砦跡)に寺堂を移している。茶枳尼天堂は「野田山稲荷大明神」として親拝された。弘法大師像も安置、九州八十八箇所の第31番霊場になっている。

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赤い重厚な鳥居
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本殿
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馬頭観音
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水子地蔵尊
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野田山稲荷大明神参道
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野田山稲荷大明神鳥居
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山全体が神域か
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茶枳尼天堂
■御本尊の十一面観世音菩薩像は「秘仏」になっている。五月の第三日曜日には”御聞帳”。護摩修法が行われ、"癌"(こわれ)封じ観音と言われ、婦人の参拝が多い。
■鎌持大黒天は農具の鎌を持った古式の大黒天像。延岡七福神の大黒天霊場になっていて、巡拝者も多い。
■柳田国男も訪れている(大正10年:1921)。
修験派独立の初期の運動に、昔のままの姿で参加し、「自分の寺は旧藩侯時代から此の行装で寺禄を食み、祈祷を仰せ付かってきた。世間を憚るべき道理がない」と言い切った当時の谷山住職に会うのが目的であった。(柳田国男署:海南小記)
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