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連光寺湧水

連光寺湧水地図 ココ

連光寺湧水:(大分県佐伯市宇目大字木浦鉱山)

天正10年(1582)、織田・徳川連合軍に敗れた武田一族は、諸国を流浪している途中、豊後・日向の境である木浦山にたどり着き、その一帯で鉱脈を発見し、錫の採鉱を行うようになった。さらにこの一族が信仰していたのが、日蓮宗久遠寺(甲斐国身延山)であったので、木浦山字中尾に小さな庵をつくり、故郷や武田一族のことを思い、信仰していたのであるが、ある時この地にコンコンと湧き出る泉を発見し、寺院を建立した。当時湧水は、飲料水はもちろん、水車をまわしたり鉱石を洗う水として使われていた。昭和63年6月8日豊の国の名水15選に指定。
 

案内看板より

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湧水の由来

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山門

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境内の火車天神

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連光寺湧水碑

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連光寺湧水水源地

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山門前用水路

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山門前用水路

とにかく大変な水量です。寺を入ってすぐ左手にありますが、門前を水路が流れています。木浦地区の生活用水だけでなく、木浦名水館の湯はここの水を沸かしています。飲んでみましたが、おいしい水です(水の味?、何となくとか、カルキくさいのはわかりますが、私にはこれ以上わかりません)。特筆すべきはここで珍しい生物に対面しました。昔は小川にカニを取りにいった時などよく見たものですが。皆さんは(鬼)ヤンマーというトンボをご存知でしょうか。大きなトンボです。湧水の写真がボケているのは久しぶりの対面に興奮して急いで撮ったためです。老眼で良く見えませんが、何処かに写っているはずなのですが……。
 


編集後記

しかし武田の残党が、流浪の旅の果てに、よくここで鉱山を発見したものですね。今なら一獲千金だったでしょうが、採鉱技術の進歩していない時代には、それでも生活は苦しいものだったでしょう。この地は、さらに昔、平家も源平合戦に負けて、最初に落ちてきた場所らしいですが、山が浅く見つかるとということで、宮崎県の山奥椎葉まで逃れたという話を聞いたことがあります。執拗な平家追討と違って、武田追討ということは無かったのでしょう。
 

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行きかた 国道326号線方面から、木浦鉱山についたら右手に名水館がある。そこを過ぎてすぐ左手に、女郎墓の案内標識あるので左折。20mほど行くと右手に入って行く細い道がある。奥まで車で行けるが、駐車場が狭いので、名水館に駐車することをお勧めする。
周辺見所

botan 木浦山千人間府

botan 女郎の墓

botan 木浦鉱山

botan 見立鉱山(英国館)