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大武寺

大武寺地図

大武寺の 開創の年月は不詳、応永3年(1396)に開山快傅法印が中興。本尊は阿弥陀如来。当寺ははじめ川原崎にあったが、戦乱などによりこの地に移る。 宝永六年(1709)に延岡藩三浦明敬藩主は、境内に火坊祈願堂を建て、真言宗総本山の高野山から「鼻長尊(びちょうそん)」像を安置、以後歴代藩主の防災祈願所となった。 山門脇には、十一面観世音菩薩を安置する観音堂がある。堂内には八大竜神、鼻長尊、弁財天、寿老人が祀られており、延岡七福神コースの一つである。 寺内の護摩堂(ごまどう)観音堂は、文政12年(1829)藩主内藤氏により建立されたもので薬師如来が安置されている。また山門の仁王木像=金剛力士木像(阿吽二像)は、元は今山の善龍寺の山門にあったが、明治初年に本寺に移した。檜の寄木造り、像高2.6メートルあり、棺寛文八年(1668)に京都の仏師・光雲の作となっている。
 

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正面山門
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山門横の阿像
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山門横の吽像
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山門上部
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金剛力士像碑
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山門横の観音堂
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護摩堂
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護摩堂前の仏像
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山門を裏側から
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本堂
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五輪の塔
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歴代住職の墓
  この寺を一見したとき、そのお寺らしからぬたたずまいにびっくりした。大げさに言えば、まるで安土城天主みたいな本堂である。それと飾り気の無い戦国時代の城門みたいな山門、それをしっかりと番する二体のの阿吽像はまるで生きているような迫力がある。その前では、人間の嘘など通用しないよ〜。

鼻長尊像は、和歌山県の真言宗総本山である高野山の金剛三味院から、宝永六年(1709)に移したといわれる。興教大師の「覚鑁(かくばん)上人」の変身像という。長崎県に生まれて13歳で仏門に入った後、長承三年(1134)には、総本山・金剛峯寺の座主となった。修業にあたっては誰とも面会せず、読経を続け、「人を救い幸福を与えよう、災難を払って平和を招き寄せよう」と天狗のような鼻高姿になったという。


■大武神社の天狗伝説・・・昔何をやらせても卒の無い手の早い小僧さんが・・・。
■仁王像とは・・・金剛力士像のことで、阿吽二体・・・。
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