大御神社

大御神社 :(宮崎県日向市日知屋1)

目前には広大な日向灘が広がっている。火山活動によって出来た柱状節理の断崖にはさまれながらも、狭さは感じないしそのコントラストが美しい。広い境内いっぱいに敷かれた白砂は、周囲に照り映えてまぶしいほどだ。神社というより海岸の別荘といった不思議な雰囲気だ。入口左側の岬は、戦国時代伊藤氏の支城があった場所。境内には「君が代」で有名な「さざれ石」、長寿を願う亀石、があり、小さな丘を越えると縄文遺跡「龍神さん」の洞など見どころいっぱいだ。

入口大鳥居
入口大鳥居
正門
正門
本殿
本殿
境内の白砂
境内の白砂
本殿を右側より)
本殿を右側より
神座(かみくら)
神座(かみくら)
龍神の霊(たま)(玉)
龍神の霊(たま)(玉)
本殿裏側の柱状節理
本殿裏側の柱状節理

◆龍神の霊(たま)(玉)

五千年の時空を時空(とき)を経て、今、甦る竜神伝説。
この水窪周辺は今から五千年前(縄文時代)の人が龍神信仰をしていた古代遺跡です。
古代の人々は、岩を渦状に刻み、龍を表し、底には生命の源である龍玉を納め、それを守るように山水を注ぎました。 当時の人々は龍玉を抱え守る龍神の姿に、日々の安寧と守護を祈り、後々の世までも続く幸福を願ったのでしょう。

また、皇孫瓊瓊杵尊が御降臨されたおり、「神座」(かみくら)にて絶景の大海原を眺められたと伝えられていますが、この岩上も古代祭場であることが判明しました。

案内板より

見所

龍宮(鵜戸神宮)

神社の丘一つ越えた海岸洞窟に鎮座する。縄文時代からの遺跡でもある。昇龍でも有名。

日知屋城址

戦国時代の天然の要害、伊藤氏48塁の一つ。
関連

さざれ石とは

ウィキペディア

伊勢神宮

伊勢の伊勢神宮のHPです。。
日向のお伊勢さま 大御神社 御由緒並びに沿革
御祭神 天照皇大御神 (アマテラススメオオミカミ)
国登録有形文化財(本殿・幣殿・拝殿)平成11年10月14日指定
御神殿大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。
 また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。
 その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。
 大御神社の社名は、天照皇大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、本殿に残る天保・安政年間より大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されている。
 現在の社殿は、昭和13年(1938)10月に全面改築されたものであり、建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造りが特徴。本殿裏の波打つ柱状岩と相まって独特の雰囲気を醸し出し、特に海岸より観る姿は実に美しい。
 設計施工は当時全国的に活躍していた宮大工・谷山武義(四国出身)で、建築資材は高千穂地方の神社の境内木(杉材)が使われている。  その後は改築もほとんどされておらず、当時の関係者の日記に立案から落成までの経緯が克明に記録されており、設計図も原本のまま、又建設中の写真も保存されている。
案内板より

大御神社・・・神社の公式サイトです。

三代の亀(親・子・孫)

今から約百万年前の事、尾鈴山の火山活動で神社の沖にある海底火山の活動により、この海岸一帯に多量の火砕流が押し寄せ堆積した。そして長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)である。 長寿を象徴する目出度い亀、悠久の時を経て大自然がもたらす三匹の亀岩。

工業港入り口

親亀

工業港入り口

子亀・孫亀

編集後記

実に美しい神社である。浜からのそよ風は心地よい。ホッと一息、訪ねて見たらどうだろう。

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