岡城址

岡城址:(大分県竹田市大字竹田2761)

国道502号線岡城址入り口から、坂を少し上り詰めたところに岡城の駐車場がある。そこから眺める岡城址の景観は、まるで鷹の巣城。高い懸崖の上に、さらに石垣がある。料金支払所(巻物の資料ももらえて300円)ビックリ安。そこから本丸まで、まあ長いこと。しかし城の南北を流れる川辺から吹きあがる秋風は心地よい。重厚な造りの石垣が続く。やっと頂上、広大な平地に多くの曲輪・屋敷跡がある。 高い石垣

石垣の上から下を覗くとフラ〜。ビックリするほど急峻でしかも高い。たった7万石で、これほどの城をよくもまあ維持できたものだ。

この城はまた滝廉太郎の「荒城の月の」作曲場所としても有名だ。いろんな説があるが、ここだと仮定して、場所はどこだろう?。

岡城公園入口石塔
岡城公園入口石塔
駐車場から見た岡城址
駐車場から見た岡城址
階段前通路
階段前通路
史跡岡城址石塔
史跡岡城址石塔
巨大な石組
石段に至る通路の巨大な石組
大手門前
大手門前
大手門の石垣
大手門は城の正面に位置する門。侍番が置かれ、城中への出入りは厳しかった。
城代屋敷跡
城代屋敷跡
貫木門跡
貫木門跡
三の丸跡
三の丸跡
滝廉太郎像
滝廉太郎像
二の丸跡
二の丸跡
本丸跡碑
本丸跡碑
本丸跡
本丸跡
西ノ丸跡
西ノ丸跡
上から大手門
上から大手門
キリシタン洞窟礼拝堂
禁教時代の洞窟礼拝堂です。
西光寺
西南の役の藤丸警部の墓があります。
沈堕の滝
この城の下流にある名瀑です。
原尻の滝
緒方町の有名な名瀑です・

大野川支流 史跡岡城址は、大野川の支流である稲葉川を北に、白滝川を南に臨む。標高325mの阿蘇溶結凝灰岩で形成された台地の上に築かれている。両河川は台地の先端部で合流し、天然の堀の役目を果たし、河川の内側は切り立った断崖絶壁になって、深い谷に取り囲まれている。

現存する岡城址は文禄3年(1594)中川氏が播州(兵庫県)三木から入部して普請されたものである。城の造営は、初代藩主中川秀成(ひでしげ)により始められ、天神山を本丸とし、以前の大手であった下原口(しもばるぐち)を搦手(からみて)に、西南側に大手口を、北西側に新たに近戸口(ちうかどぐち)を切り開き、3つの門が出入り口になった。城の曲輪は、東から御廟(ごびょう)の曲輪、東西の中仕切りの間に本丸・二の丸・三の丸の曲輪さらに西側に西ノ丸の曲輪が設けられた。 西ノ丸は、寛文4年(1664)に、三代藩主中川久清により隠居所として、御殿の普請が完成している。

工業港入り口 石垣の普請は、石垣職人として有名な穴太(あのう)衆と思われる。「穴太伊豆」が大阪から呼び寄せられ工事にあたっている。その後、度重なる地震や風水害により、城内各所が破損し、その都度石垣の修理が行われ、積みなおした跡が今も見ることが出来る。

右の石垣は宇目町の長昌寺のものであるが、同寺に残る言い伝えのごとく、まったく同じ石工によるものだろう。   長昌寺

明和8年(1771)には城下町より出火した火が城内に移り、西ノ丸をはじめ、本丸・二の丸・三の丸・御廟・下原まで類焼し、岡城内のほとんどの曲輪が焼失した。再建は、火災以前の殿舎の構成を基本的には踏襲して行われた。。現在史跡内には、主要曲輪だけでなく近世城郭における各建物の遺構(武家屋敷・宗教的建物)が残されている。 岡藩は禄高約7万石の藩であるが、豊かな自然の中に広大な城が築かれ、現存する雄大な石垣は堅固な城であったことを窺い知ることができる。

現地案内板より

武家屋敷(寺町)

ここは本来の武家屋敷かどうか解りませんが、古い建物が並んでいます。

編集後記

岡城の広さに疲れました。造った人々の迫力に負けました。すべて回ろうとしたら、あそこだけでも半日はかかりそうです。しかし 竹田という町は、付近に類を見ない史跡の町だと思いました。至る所史跡だらけ、仕事がなかったらこのような町に住みたいですね。歴爺としては!!。

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