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朝日嶽城址

朝日嶽城址地図

朝日嶽城址は、天正6年11月(1578)日向高城の合戦で総崩れとなった大友宗麟は、島津軍の来攻に供えて、野津院星河城主、柴田紹安に築城を命じた。天正14年10月(1586)紹安は、かねてから宗麟の行動に反抗を抱き、折あらばと思っていた矢先、南部の叛旗を翻したことを耳にするや、重臣たちの諫言をよそに島津方に内応、夜陰に乗じて城を出て島津軍に合流した。島津義久は縣松尾城主(延岡)であった土持親信を朝日嶽に籠もらせた。しかし、親信は半年後、天正15年2月(1587)、佐伯惟定によって奪還され、その後佐伯惟定の出城となったが、文禄2年(1593)に廃城になり、城としての機能を失った。戦国時代末期の山城としての遺構がよく残されており、貴重な文化遺産である。

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入り口案内看板
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車道と多目的愛車
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朝日嶽城址由来
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途中の車道
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上の駐車場
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山道
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稜線の丘
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天主の側のなにかの広場
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頂上の天主跡
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石碑
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石碑
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周囲の山の位置説明版
  ここは本当に山城の跡だ。心臓がパクパクいっていた。車で上がれると思っていったら、四駆(軽)なのに車輪が滑り出した。これはやばいとおもって、バックし、途中まで引き返す。初めての場所なのでよけいにそう思った。しかし上の駐車場までは危険ではあるが、通行不可能ということは無い。だが下の空き地においていた方が無難だろう。だが遠いよ。30分ぐらいかな?。ところどころ傾斜角45度に近いところもある。猪と思われる獣が穴を掘った跡の多い山道を、何処に城址があるかも解らず登ることは、結果が出ないかもしれない不安が絶えずつきまとった。だが城址と思われるところは、頂上に確実にあった。次からは平気だろう。あ〜疲れた。昔は年寄りの家来はいなかったのかな?。

朝日嶽城攻防戦・・・ 日向戦国武将物語より。「夕刊ディリー」
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