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歌舞伎の館

歌舞伎の館地図

大人歌舞伎の由来は:
中崎城主、甲斐宗攝は三田井家の重臣として、岩井川諸塚の七つ山を治め、善政をほどこし地区民に慕われていたが、文禄四年(1595)一月、延岡藩主高橋氏によって討たれ没した。その死を悲しんだ地区民は宗攝を大人神社に合祀し、例祭日に供養を行っていた。その後、天明年間になって、宗攝が生前こよなく愛した芝居で供養した。これが大人歌舞伎のはじまりで、現在も例祭日には神楽とともに奉納されている。また県の無形文化財に指定されている。
 

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旧大人小学校の入り口石段
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旧大人小学校の校門
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歌舞伎の館全体
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小学校の歴史とともに巨木
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小学校跡記念碑
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広い運動場
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歌舞伎の館
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大人歌舞伎案内
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大人歌舞伎案内
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非常用の鐘かな
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大人用水路完成記念碑
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灌漑用水竣工記念碑
お百姓が名優に変わる
昔は大人神社の前に小屋掛けをして芝居をしていたが、今は立派な歌舞伎の館が大人小学校の跡地に建っている。舞台には美しく染め抜かれた引き幕が張られ、見事な舞台が設備される。引き幕には、文政年間のものや嘉永二年(1849)に作られた「二見ヶ浦」の染め抜き幕もある。歌舞伎の行われる夜には、それぞれの家には留守番も居ないほど全員が集まってくる。芝居の開演前には、全員が大人神社に向かって拝礼する。豊かな実りに感謝する祭りであるとともに、同神社に合祀されている甲斐宗攝の霊を慰めるための奉納芝居でもある。 少女たち3人による「寿三番奴」が古式どおりに演ぜられて、向かって右手の義太夫の声と、重く響く三味線。拍子木が鳴り拍手で幕が開く。顔見知り、親しい人たちが役者になり、勇ましい武将や、美しい姫を演ずるのに「日本一」とか「いいぞう」という励ましの言葉が飛び交い、紙に現金を包んだ「花」が投げられる。見物席では、手料理の重箱が置かれ、酒を酌み交わす。子供たちは菓子や飲み物。祭りと芝居を楽しむ和やかさが溢れる。(民俗探訪故郷365日より抜粋)
おじいさん いかにも楽しそうですね。10月の大祭には是非見学させてもらいます。
周辺見所

◇大人神社・・・大人歌舞伎の由来につながる戦国の武将、甲斐宗攝を祀る神社です。

◇岩井川神社・・・近くのある神社。巨樹百選と長い階段があります。
 

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松原往還 大人
夜神楽

町内各地では、例年11月から翌年の2月にかけて、実りに対する感謝と、翌年の五穀豊穣を祈願し、神楽が奉納される。本町では、当地区をはじめ、鹿川、大菅でも夜神楽が奉納されています。(案内板より)
松原往還 古園棒術
江戸時代、旧岩井川古園の原に庄屋があり、棒術の手ほどきを受けた古園や上小原の村人たちが、その警備にあったものといわれ、その後武道としての棒術が時代とともに踊り化され、現在古園保存会により継承されています。(案内板より)