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長居駅(はゆま)と長居院

長居駅(はゆま)と長居院地図

長居駅(はゆま)跡は延岡から10号線を北進、日向長井駅手前を最近出来たての道路に右折、すぐ右手に案内表示板が建っている。遠く奈良時代の、税収のための古代駅路(はゆまじ)の跡です。 明治の初め、長居村の全個数440戸のうち、過半数が本村(対岸も含む)に集中していました。北川を含む両岸には、同等規模の集落があり、その間に竹瀬渡しと下飛石渡しがあり、共に古くから発達したものと考えられます。現在は豊後街道の跡「くりこし峠」の標柱と長居駅にちなむ道の駅「北川はゆま」が建設されています。
 

逆光で見にくいです。
長居駅表示板
延岡道路北川起点
表示板の裏側
田園風景が広がる
周囲の田園
繰越峠の小山
奥の高架は10号線
道の駅北川はゆまの看板の反対側
くりこし峠の案内板
昔は舗装もないし狭かったろうね
くりこし峠道



  奈良時代、当時の国民は、班田収受の法により、税(稲)を収めなければならず、この税を九州では大宰府と地方の国府(日向では三宅)へ搬送するために設けられたのが駅路(はゆまじ)です。豊後と日向を結ぶ駅路は、小野駅(大分県宇目町)から黒土峠と梓峠を越えて、日向最初の駅である長居駅へ至ったと考えられる。長居駅には、駅に必要な駅馬と伝馬などとともに、駅田で収穫した稲やその他のものを収納する院倉があったのです。長居院は長居の院倉に税(稲)を治める地域、つまり長居郷のことであり、この長居郷を長居院と呼ぶようになった。しかし平安時代は、荘園の発達により、奈良時代の税制は崩れ、駅制も崩壊し長居駅も消滅した。そして長居駅は宇佐神宮の荘園となった。 本村から熊田の渡しまでの街道は、川舟も繰り越したと言う「くりこし峠」を下って坂本へ、今も古道を残す小さな屋根を登って竹瀬へ向かう。
■川辺駅・・・西階公園の児童公園付近です。
■苅田駅・・・現在の門川町中学校の周辺です。
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