Back Topへ

無戸室跡

無戸室跡

無戸室(うつむろ)跡:(宮崎県西都市三宅字石貫)

無戸室跡は石貫神社から約200mぐらいの近距離にある。当地では火柱殿(ひじゅどん)とも呼んでいる。木花開耶姫が、自らの貞淑と潔白を証明するために、戸の無い完全な密室となる産屋に隠れ、自ら火を放った産殿(無戸八尋殿)の跡と伝えられる。 道路より一段上がった、一辺が約30m四方の敷地の中央に、無戸室跡と刻された石碑が建っている。その上には樹齢数百年とおぼしき楠の大木が頭上を覆っている。敷地の境を良く見るとかっての土塁の跡であろうか、土がこんもりと盛り上がっている。

拡大

無戸室跡と案内板

拡大

九州自然歩道

拡大

楠の巨樹の下の無戸室跡の石碑

拡大

無戸室跡の石碑

拡大

楠の巨樹

拡大

土塁跡ともみえる盛土

拡大

自然歩道マーク

拡大

記紀の道案内板

炎の中の木花開耶姫

無戸室の由来

瓊々杵尊は木花開耶姫と結婚されて、一夜明けると土賊討伐にお出かけになり、数ヶ月してお帰りになると姫はすでに身篭っていました。
そこで尊はわずか一夜で身篭った姫をお疑いになりましたので、姫は身の潔白を明かすため、戸の無い産殿(出口が無い完全な密室)を造られ、周囲に火をかけその中で、「尊の子であれば火で焼け死ぬことはないでしょう」と言われて火酢芹命(ほのすぜりのみこと):海幸、。火明命(ほのあかりのみこと)、火折命(ほのおりのみこと):山幸彦の三皇子を無事出産されました。
三人の御子と木花開耶姫には少しの火傷もありませんでした。まさしく天孫の御子であることが証明されたのでした。 地元では火柱殿(ひじゅどん)とも言っています。

現場案内板

編集後記

この狭い範囲に多くの記紀の史跡がまとめられ、整備されています。さすが歴史の街西都だと思いました。資料館の一切撮影禁止はチョッと島国根性でいただけませんが……。しかし、 男の共通の悩み(?)は、古今を問わず、神であろうが、庶民であろうが、皆同じというのがユニークです。時々テレビを見ていますと、二世の俳優さんが、お父さんそっくりなのにビックリすることがありますが、こういう場合は心配が無くていいですね。問題提起をしたからと夫婦喧嘩はしないでくださいよ。残念ながら私には子供はいません。いるだけでも幸せなのですから……。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.
行きかた 西都市の国道219号線からでもいいが、私は逆に西都原古墳群の男狭穂塚の方から降りてきた。坂道を降りてくると、右手に「石貫階段」があり、その下の左手に「石貫神社」がある。そこを過ぎると「児湯の池」が右手にあり、50m程行くと左手に大きな楠のある広場がある。地図の史跡すべてが近距離です。

周辺見所

botan都萬神社

botan石貫階段

botan石貫神社

botan児湯の池

botan八尋殿跡

botan逢初川

botan稚児ヶ池

botan酒本の観音堂