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無鹿の渡し

無鹿地図

無鹿の渡しは、国道388号線の川島橋周辺です。対岸は川島町ですが、北への旅人の多くが川舟で上流の八戸へと向かいました。橋の東側の妻耶神社は大友宗麟が本陣にした跡で、また西南戦争では西郷軍が塹壕を掘り陣地にした場所でもあります。無鹿の東側は二つ島町です。無鹿町から友内川を渡り、田んぼの中を東の北川の堤防まで一筋の道が続いています。その友内橋が有料であった時代もあったそうです。対岸は東海町の水尻です。そこへの渡し舟が平成16年まで運行されていました。
 

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川島橋上流
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川島橋
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集められた庚申塔・水神様
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サイドより
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道路向こうの庚申塔
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道路向こうの庚申塔(嘉永の文字が見える)
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道路向こうの歌碑(川舟の・・・)
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下流を望む
この川は西南の役では、西郷隆盛が川舟に揺られながら上流の北川まで行ったし、大友宗麟もこの川を逃げ帰ったのであろう。数々の歴史の舞台となってきた川である。
◇北浦往還
山岳と海に囲まれた北浦地方への道は、大分県街道から次の三つが通じていました。
@川島村から今日の国道388号線に沿って、七浦七峠(リアス式海岸)を経て古江に至る道。
A川内名(かわちみょう)村の市棚(いちだな)から鏡山の北にある惣別当(そうべっとう)を経て三川内(みかわうち)に抜ける道。
B同村の葛葉から北川の支流に沿って、三川内村に至る道。
これらの道はいづれも険しい坂道でした。古江や市振、そして宮之浦の住民は、道路の改良が進む近年まで、延岡との往来は船便を利用していました。
  <引用資料>:宮崎の街道・・・教職員互助会。
 
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