行縢神社

行縢神社(むかばき) :(宮崎県延岡市行縢町741)

大和朝廷の初期、日本武尊が熊襲族征討の折、この地の山の形が行縢(毛皮製の乗馬用下半身コート)に似ていると仰せられ、行縢山の名がついたと伝えられている。秀麗な山と荘厳な瀧は、古代の山岳信仰起こし、これらを御神体として社殿建立が行われた。 養老2年(718)紀州(今の和歌山県)熊野大社の御分霊が奉祀された。祭神はイザナギノミコト、イザナミノミコト、日本武尊で日向国内の著名な神社で代々の藩主の崇敬があつかった。昔はこの一帯は聖域だった。

入口鳥居
入口鳥居
参道の分かれ道
参道の分かれ道(右:登山道)
工業港入り口
二の鳥居
工業港入り口
池:行縢川の清らかな水が流れている。管理人の人が手を叩くと寄ってくる大鯉が泳いでいる。
参道階段
参道階段
古い御手洗
古い御手洗
拝殿
拝殿
変わった狛犬
変わった狛犬
変わった狛犬
変わった狛犬
拝殿内部
拝殿内部
本殿
本殿
上部の彫刻
上部の彫刻

工業港入り口

本殿の右横に聳えている樹齢300年の御神木である。根元は一つで途中から二つに分かれている。夫婦杉の所以だろう。 夫婦で手をつないで右周りに3周すると幸せになるらしい。

為朝腰掛の岩

長寛2年 (1164)、鎮西八郎為朝(源為朝)が九州平定のとき、武運長久を祈願したという。神社入り口の鳥居下方に、為朝が腰掛けたという平たい石 がある。

編集後記

急峻な行縢山に向かって、なだらかに上ってゆく段丘が、山裾にかかる辺り、深遠な森に鎮座している行縢神社、由来によると記紀の時代よりこの地に存在していたらしいから、相当歴史のある神社といえよう。隣の大日寺が大友宗麟によって焼かれ、再建されないままになっているから、歴代藩主の信仰の厚さを感じる。

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