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宮水神社

方財地図

宮水神社建立の由来
天正19年、当時延岡城主高橋元種は、何としても西臼杵地方を手に入れたかった。しかし、そのためには西臼杵地方を治めていた三田井親武をどうしても討たなければならなかった。そこで元種は、親武の家来、甲斐宗攝(当時中崎城主)に謀反を起こさせ、9月27日真夜中、仲山城(現在の向山)にて三田井親武を討ち取らせた。宗攝に討ち取られた親武の首(頭)は、29日舟の尾に送られたが、家来の者が首を持って宮水まで来ると、首が重くなり、歩くことも出来なくなったので、このことを本陣に注進したところ、不思議なことであると宮水で首実検が行われた。首実検の終わった親武の首は、このあたりの住民が貰いうけ、泣く泣く近くの森に葬った。その後享和3年(1803)三田井氏の支族、興梠権兵衛重綱、庄屋甲斐又兵衛、中村忠兵衛が協議して宮水の首塚に石碑を建立した。安政2年4月、中村忠兵衛の曾孫、中村寅五郎が主催して、高千穂18ヶ村の庄屋に働きかけて寄付を集め、三田井親武を祀る親武大明神の神社(宮水神社)を建立した。明治15年8月、周辺数社を合祀し、現在に至っている。

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神社入り口燈篭
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神社参道
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宮水神社石碑
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拝殿周辺
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拝殿
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昔の鳥居
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木彫りの仏様
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三田井親武の墓

付箋
◇中崎城址・・・規模は小さいですが、天然の要害とは、このような城をいうのでしょう。

見所
◇宮水代官所跡・・・田んぼの中に屋根のついた井戸があり、往時の面影を忍ばせてくれます。しっかりした屋敷跡で規模の大きな役所でした。


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行きかた   宮水神社は代官所から手前の三叉路まで引き返し、そこを右折。100m程で右側高台に鎮座します。その前には道路元標もあります。
道標

宮水の道路元標:高さ2mの石造りの元標

(右)三田井へ四里壹町七間
(正面)距宮崎元標参拾参里七町
(左)新町貳里参拾貳町拾壹間
(裏)明治三十五年十月建立