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宮水代官所跡

方財地図

宮水代官所(御役所)由来
舟の尾代官所が寛政九年(1797)3月23日に焼失し、同年6月に高千穂郷の庄屋より舟の尾代官所を宮水に土地換えをしてくれるよう願い出があり、2年後の寛政11年(1799)舟の尾から宮水に移転した。
その後嘉永2年(1849)にも三田井村(高千穂)への土地換え願いが出されたが実現せず、明治元年(1868)高千穂に移転した。
この間約70年、宮水代官所は高千穂郷統治の中心地であった。御役所の規模はわからないが、当時の敷地と思われる場所を見るとかなり大規模な役所であったと思われる。
井戸の砕石の刻字に「天保14年(1843)出来」とあり、また当時の代官と思われる松寄氏、塩氏、鈴木氏、秋山氏、松田氏の名が見られる。
台風の災害により、ほとんど埋没していた井戸を史跡として後世に残すために地主の了解を得て、平成8年11月7日に土砂を取り除き、屋根をつけ復元したものである。 (日之影町教育委員会)
 

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代官所跡の井戸
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代官所跡の井戸
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昔の役所跡
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堅牢な石垣
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広い敷地跡
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案内標柱
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由来の案内
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井戸の中
付箋 井戸寸法には(内寸)縦1,0米、横1,0米、井戸下水面砕石上部より7,3米とあります。舟の尾も宮水も、共に三田井の出入り口として、重要な場所でした。
◇舟の尾代官所跡・・・今は藪の中ですが、宮水代官所はここから引っ越してきました。

見所
◇宮水神社・・・甲斐宗攝の裏切りによって、殺された三田井親武を祀る神社です。
神社前には明治時代建立の大きな道路元標があります。

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行きかた   宮水は最初はなかなかわかりづらいが、青雲峡を渡って、道の駅のほとんど前を左折、チョッと細いので迷うかも。そこを降りて左折。突き当りが宮水小学校になる。四差路になっているので、くれぐれも小学校のわき道を入ってゆく感じで右折すると、218号線の上を通り、山に向かってまっすぐ中畑住宅の案内どおりに行くと住宅を過ぎた山際に代官所跡があります。