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立磐神社

立磐神社地図

立磐神社は美々津の上町どおりを北へ進むと、「美々津の渡し」に突き当たりますが、その耳川の流れに沿った形で鎮座している。この神社は神武天皇御東征の御船出にあたり、渡航の安全を祈願して住吉大明神(ウワツツノオノミコト、ナカツツノオノミコト、ソコツツノオノミコトの三神)を奉斎した由緒により、景行天皇の御世に創建されたと伝えられている。その後天正6年(1578)島津・大友両氏の耳川の合戦で焼失しましたが、元和9年(1623)に再興され、寛文年間、徳川4代将軍家綱の頃、旧観に復しました。境内には神武天皇「御腰掛岩」が祀られ、巨樹指定樹木の「楠木」もその威容をほこっている。

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正面鳥居
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手水舎
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腰掛岩を祭るミニ鳥居
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神武天皇腰掛岩
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神武天皇腰掛岩碑
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お百度岩
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唐獅子
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唐獅子
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拝殿
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大岩
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お稲荷さん
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本殿
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巨樹「楠木」
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巨樹「楠木」の根元
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巨樹「楠木」を下から
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巨樹「楠木」案内
■神武天皇腰掛の岩
・・・神武天皇が東征の御船出にあたり、この岩に座り陣頭指揮された場所とされる。
■指定樹木「楠木」
指定:市保存樹木
幹周:507cm
樹高:28m
樹齢:推定約200年
■神武天皇と美々津
日向市美々津港の右岸に立磐神社という社があり、境内に1つの岩が保存されている。神武天皇が日向から東征の時、この岩に立って指図したと伝えられている。神武天皇は諸皇子や大勢の船軍(ふないくさ)を率いて美々津で出航の準備をした。「日本書紀」では出発はその年の冬、10月5日とされているが、美々津の御船出伝説では八月1日(旧暦)のこととしている。当初予定のときは天候が悪く、船出を見合わせたが、天候が回復したので、出航を8月1日の夜明けに決めた。神武天皇はあわただしく出発の用意をする中で、着物のほころびに気付いた。しかし衣服を繕う暇がなかったので立ったままでお付の者が縫った。美々津のことを別に「立ち縫いの里」と呼ぶのはこのことに由来している。土地の人々は、神武天皇の船出に合わせて、もちを作る準備をしていたが、出発が早くなったので、間に合わなくなった。それで急いで、もちとアンを一緒に入れた「つき入れ」を作って差し上げた。以来これは美々津の名物になっている。また早朝の出発のため、寝ている人を起こすことになって、「起きよ起きよ」と家々を起こして回った。このことが伝承されて美々津では「おきよ祭り」が行われる。神武天皇の船軍は七つ礁と一つ礁の間を通っていった。この船軍は二度と帰ることは無かったのでその後この岩礁の間を通る人はいない。
 
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